第一話

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 先生が死んでしまった。  修司は、先生の亡骸と三日ほど過ごし、二人で長年暮らした小屋から運び出した。先生に言われた通り、裏山の斜面に予め掘っておいた穴に安置し、土をかぶせた。動物に掘られないように、多めに土を重ねると、河原から持ってきた石をいくつも置いた。 「先生、重くありませんか」 と、声をかけそうになって、やめた。土にまみれた修司の手は、微かに震えていた。  小屋に戻ると、ひびの入った鏡を覗き込んだ。髭もあてていなかったし、ろくに食事も摂っていなかったので酷くやつれて見えた。顔を洗って髭もあて、芋をふかして胃に納めると、村へ降りた。  村人は、先生の訃報に悲しんでくれた。開業医ではなかったが、医学の知識のある先生は、村人にとってなくてはならない存在だった。町の医者まで行くには時間がかかるし、何より先生は金を取らなかった。何よりも先生の人徳がすべてだと、村人は口々に感謝の言葉を修司に預けた。修司は静かに受け止めると、深く頭を下げた。 「長い間、お世話になりました。ありがとうございました。きっと先生は、喜んでおられると思います。どうぞ皆さん、どうか今後もお元気で」 「修司くん、あんた、どうするんだ、これから」  農家の男たちが修司を取り囲んだ。 「おめ、行くとこねえなら、村を手伝え」 「ほんだす、あんた一人になっちまう」 「夏場だけでもいいから、村に降りてきなさ。みんな人手が欲しいから、仕事はあるんだよ」  修司は、困ったように笑って、 「もう少し、考えます」 とだけ答えた。  坂を登りながら、汚れた自分の草履を見る。この草履は、先生が編んで作ってくれたものだ。服だってそうだ。先生が若い頃から着ているものを分けてもらった。髪の毛は切り方を教えてもらったし、読み書き計算からドイツ語、料理や畑仕事に至るまで、すべて先生に習った。  小屋にはまだ、先生の空気が残っている。  というより、まるで自分が先生の分身になってしまったかのような、不思議な錯覚を覚えた。修司はその錯覚を振り払うように、先生がいた頃と同じく、畑に出て土を耕した。
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