頼みの綱

5/9
前へ
/42ページ
次へ
1985年3月18日 12:14 イラン.テヘラン.日本大使館 「ひとまず……一般人の方々の避難、完了しました。」 大使館職員が、駐イラン大使野村豊氏へそう告げた。 野村氏はそれを聞くと数回頷き、「わかった」とだけ答える。 激しさが増す空爆に少しでも巻き込まれる可能性を減らすため、在イラン邦人達には避難するように大使館から指示が出された。 相変わらず日本政府からは救助派遣の連絡は来ない。 ーーもう、どうしようもないのか…… 彼はため息を吐き頭を抱える。 自分達はまだいい。 だが、一般の駐イラン邦人や、大使館職員の家族達までこれ以上危険にさらすことは望ましくない。 周囲の職員達を見回してみる。 皆の表情から見てとれるものは一貫していた。 ーー恐怖と絶望。 それもそのはず、日本からは救助も来ないし、諸外国の航空会社はどこも当然ではあるが『自国民優先主義』で日本人を搭乗させてくれない。 イランにいる約200人の日本人の中には、妻と子供を連れている者もいる。 このような場所から逃がしてやることさえできない夫という立場にある者は、どれだけ悔しく辛い思いをしているのだろう。 そんなことばかりが脳裏を過っては、時より響く爆音に現実へ引き戻される。 幸いメヘラーバード国際空港や大使館には今のところ大きな被害は無かったが、それでも危険度は時間が経つにつれて増していく一方であった。 ーータイムリミットまで、残り32時間。
/42ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加