絶望の淵

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当時、日本では「55年体制論争」が大きく影響していた。 これは社会党の「自衛隊を海外に出す事は、侵略戦争につながる」という主張によって、海外在留邦人救出のための手段が必要だと言う声も、押しつぶされていた状況を指している。 17日の「イラン戦争区域宣言」の際、テヘランにいた駐イラン大使であった野村豊氏は、ただちに日本へ救援機派遣要請を出した。 本省から、救援機派遣にはイランとイラク両国の安全保障の確約を現地で取得するよう指示が返ってきたが、この状況下でそのような確約は不可能であった。 結局自衛隊救援機も出せず、政府専用機も当時は所持していなかった日本政府は、民間航空会社に要請するしかなかった。 しかし民間航空会社も、乗務員の安全確保が保障されない以上、日本からの救援機は出せない、というのである。 空爆の恐怖に曝されている現地在留邦人は、日本政府から見捨てられた形になってしまったのだ。 イラクによる無差別攻撃のタイムリミットまで、残り36時間。
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