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「麻弥…ここに座ってくれ」
先生の声が、はるか遠くから聞こえたような気がしてゆっくりと視線を向けた。
自分に身を委ねる少女の頭を優しく撫でながら、先生がソファーをポンポンと叩き私を誘う。
子供だなんて、反則じゃない?恋人がいてくれた方が、まだマシだ。
…あ、子供の前に、奥さんが居るってことじゃん。
私、また過ちを繰り返すところだったの?―――なんて、滑稽。
つい先ほどまで私の横で笑っていた先生が、別人のように目に映る。
やっと、近づけたのに…
この手で触れることのできた人が、今まで以上に遠く感じる。
………嘘つき…。
「…はい」
エアコンの風にさえ消されてしまいそうな弱々しい声を押し出し、肩を落として立ち上がった。
私が近づく気配を感じ取った少女は、ビクッと体を揺らした後、正体を確認しようと恐る恐る視線を上げた。
ソファーに腰を落とした時、一瞬重なった少女との視線。
透き通るような栗色の瞳。先生と同じ、引き寄せられる綺麗な色。
――先生と同じ…この子は、先生の血を受け継いだ…
「…咲菜ちゃん」
突き刺さるような胸の痛みを抑え、口もとで必死に作り上げた笑みを少女に向けた。
しかし、その笑みを振り払うように少女は慌てて視線を急降下させ、再び先生の胸に額をつけた。
「…咲菜、何か飲むか?」
我が子の頭頂部に視線を下ろし、先生はフッと小さな笑みを浮かべる。
「そうね、起きたばかりだから喉が乾いてるでしょ?何がいい?お茶?牛乳?それとも、オレンジジュース?…あっ、麻弥ちゃんも紅茶のおかわりどう?違う種類の入れるわよ」
少女にフラれてしまった私に気を使ってくれているのだろう。杏奈さんは明るく声を弾ませた。
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