第8話 【正臣の秘密】

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「…ここは、先生とお姉さんのお二人で住んでるんですよね?」 お姉さんだけに問うように、何となく遠慮がちに声を落とした。 「私?私は住んでないよ。自宅はフロリダ州のジャクソンビルにあるの。主人と私の仕事の都合で年に2、3回帰国して、その時は数日ここに泊まる事もあるけど。帰国してる間は、豊橋市の主人の実家に居るの」 アメリカのフロリダ州…そうか、やっぱり先生は一人でここに住んでるんだ。 それはそれとして、お姉さん結婚してたんだ! 眩いほどの完璧な美女。結婚の一つや二つしててもおかしくないけれど… 手入れの行き届いた彼女の綺麗な手先に視線を置く。 レッドとピンクのグラデーションにスパンコールチップで華やかに仕上げられたジェルネイル。 ――主婦の匂いなどまるで無し。 セレブリティな奥様は、みんなこんなにもお洒落なの?海外と日本を行ったり来たりの生活とか…やっぱ、生きる世界が違いますわ。 そんな事を考えながら、 「普段は海外で仕事されてるんですね。凄いな。仕事の都合で帰国って、海外転勤ですか?商社マンとか?」 高嶺の生活に興味があるのも事実。好奇心を露わにして尋ねてみた。 「主人はね。…主人は昔、私達の父親の直近の部下だったの。今は亡き父の遺志を継いで、当時名古屋に本社を持つ証券会社、ホープウィルをジャクソンビルに進出させた先駆者の一人。現在は国内の拠点地が東京に移ってしまったけど。だから、帰国してる間は名古屋と東京を行き来してて、毎日忙しく走り回ってるわ」 彼女はそう言って、フッと柔らかな笑みを見せた。 「亡き父の遺志を…継いで?」―――今、そう言ったよね?… 確かに耳に届いたその言葉。 一瞬のうちに表情を曇らせ、引きつる口角がそれ以上の言葉を止めた。 「俺たちの父親は、俺がまだ高校生の時に膵臓がんで死んだ。俺が当時十七歳。杏奈が二十歳の時の話だ」 私の前にスーっと紅茶を運び、先生は静かな低い声を落とした。 お姉さんの声だけに聴覚を傾けていた私は、先生の登場に驚いてビクッと肩を揺らした。 「膵臓がん…」―――確か、癌の中でも生存率がとても低い、最も予後不良の癌だと聞いたことがある。
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