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時間をかけて、ひとつひとつ丁寧に仕上げていく。
単純作業になりがちな工程も、琴ちゃんのことを想えば、気持ちの入れ込み具合が違ってくる。
夕方頃、漸く仕上がったのは、いつもと変わらないキャロットハニーだった。
琴ちゃんに渡すからと言って、特別な施しは何もしていない。
そんなものは必要ないと思ったから。
このケーキには、俺の気持ちがふんだんに込められている。
大切なのはそこだ。
「父さん、あとで車借りるよ。」
「いいけど、気を付けるんだぞ。ペーパーなんだから。」
その言葉のとおり、俺は生粋のペーパードライバーだ。
駅までは徒歩10分ほどで行けるし、近所に出かけるときは基本的に自転車だ。
運転するのは、恐らく半年ぶりくらいだろうか。
でも、運転が苦手なのかと言われたら、そうでもない。
車に乗るのはむしろ嫌いではない。
ただ、乗る必要性がなかっただけだ。
一旦部屋に戻り、テーブルの上に無造作に置いていた携帯を手に取る。
メモリーにいつの間にか入っていた、琴ちゃんの電話番号とメアド。
「あとは……連絡、だな。」
自分からは、まだ一度も使ったことがない連絡先。
使わずしても、彼女は毎日のようにここに働きにきてくれていたから。
そして、あの笑顔は―――
携帯越しでは伝わらないから。
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