98人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
午後11時。
今日と言う日が終わるまで――つまりシフト終了時刻まで、残すところ1時間。
コンビニエンスストアは今日も、時間感覚を消失させる、蛍光灯の真白い明かりに充たされている。
普段とまるで変わることない、ところどころ飽きのある陳列棚。
延々と流れる店内放送。今流れているバラードは、今日だけでも三度聞いた。
宵の黒に染まった窓ガラスには、何を食ってそこまで育ったのかという蛾が、貼り付くようにして羽を休め――
そして、いつも通り、
「いらっしゃいませ。お待ちのお客様、こちらのレジへどうぞ」
レジ前を埋め尽くす女性客。
その誰もが華やかに着飾り、一寸の抜かりもなく完璧な化粧を施してきている。
繰り返す。
今は、午後11時だ。
「いらっしゃいませ、ポイントカードはお持ちでしょうか」
もはや笑みの原型を留めていない営業スマイルを顔面に貼り付け、苛立ちが成分の実に90パーセントを占めた声音で、面前の女に問い掛ける。
脱色した髪を内巻きにしたワンピース姿の女は、惚け顔で隣のレジを見詰めながら財布から五千円札を抜き取り、
そして、投げた。
ガム1つがぽつねんと置かれたカウンターに、ひらひらと舞う樋口一葉の肖像。
――そうか、無視か。
――そして100円のガム一つに五千円札か――
運悪く虫が止まったならば容易く圧死させてしまうほどの勢いで、レジ画面に金額を打ち込む。
破けないのが奇跡に思えるほどの力を込め、千円札を二度、勘定。
その横で、
「いらっしゃいませー、ポイントカードはお持ちでしょうかー?」
俺の告げたものと全く同じ台詞を、時間帯に見合わぬ朗らかさで紡ぐ声がした。
ありませんっ……、と明らかに作り物と分かるアニメ声で女が答え――
ちらと見遣れば、普通にしていれば「清楚」という言葉の似合いそうな黒髪の美人が、今時少女漫画でも見ないような恍惚とした表情を浮かべていた。
眼を覗き込んでみたならば、虹彩がハート型になっていてもおかしくはなかろう。
しかし、
「5点で948円になりまーす」
そんな女の態度を前にしたところで微塵も揺るがない朗らかな声音と、どの角度から撮っても理想的な営業スマイルで、毅然と代金を要求する――
奴こそがこの混雑の原因。
俺の後輩にあたる大学一年生、仁科澪だ。
最初のコメントを投稿しよう!