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佐伯竣(しゅん)が了一のアシスタントとして
現れたとき、玲子は驚いた。
肌の色が白く、シャープな鼻や顎のラインを持ちながらも
柔らかみのある丸顔に、覚えがあったからだ。
名前を聞いたときに、鼓動がはやまった。
玲子は旧姓を、佐伯玲子といった。
ふわふわの猫っ毛を、いつも無造作にからめている青年は、
玲子をみかけるといつも白い肌を赤く染めた。
了一のアシスタントはたいてい、
恋人も兼ねていることが多かったから、意外だった。
現にそのときにまだ、事務所にいた藤井は
あきらかに彼の情人だっただろう。
「竣はいい、仕事をする」
了一が褒めたことにも驚いた。
彼は人の話自体をあまり、しないのだ。
ときおり、洗濯を終えた下着をスタジオに届けに行く
玲子が見たのは、これまでのアシスタントとは、
違う種類の親しさだった。
仕事が終わった明け方に、電気をつけず、
黙ってソファでコーヒーを飲んでいる。
あるいはソファで眠り込んだ竣を肴に、
了一がひとりで飲んでいる。
たまに彼がいつも遊びで使うコンパクトカメラで、
寝顔を撮ることもあった。
だが、触れ合う姿は、一度も見たことがない。
「ああ、玲子」
そっと部屋に入る玲子を見る視線すら、柔らかい。
「こいつ、大きな赤ん坊みたいだ」
竣の白い頬に、細い糸くずみたいな髪がかかる。
口をわずかに開けて、小さな寝息を立てていた。
それを楽しそうに、了一は撮っていた。
「内緒な」と声をひそめて、彼は言った。
この子は、弟なの。
そのときに言ってしまえばよかったと、
のちに玲子は悔いた。
口に出してしまえば、
その後、なにも変わらなかったはずなのだ。
了一はきっと、身内のように彼を愛してくれただろう。
玲子も、竣との関係を持つこともなかったはずだ。
なのに、玲子は自分でも思いもしない言葉を、
口にしていた。
了一が夢中で竣の寝顔を撮っていたときに。
そのとき了一が、息がかからんばかりに近づいて、
彼を見つめていたときに。
「もう、抱いたの?」
丁度、自動でフィルムが巻かれる音がしていた。
その耳障りな音のなか、了一のす、となくなっていく表情に、
自分はなにを言ってしまったのだろうと、
血の気がひいた。
だが、彼は怒らなかった。
「この子はそういうんじゃない」と言っただけだ。
けれど、そのひとことによって、
世界が変わったみたいに思えた。
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