第1話

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それからペンを拾い上げる。 キャップは床を探しても、見つからなかった。 油性のペンだから、ソファの染みは落ちないだろう。 イタリア製の白いソファは玲子が選んだものだ。 家のなかのもので、 了一みずから選んだり買ったものはない。 ここに彼の持ち物は、ほとんどないのだ。 いや、ひとつだけある。 彼が肌身離さず持っている、コンパクトカメラだ。 カメラ自体は大切なものではないだろう。 よくなくしたから、買っておくように頼まれることも多かった。 デジタルが出てきても、彼はフィルムにこだわった。 そのくせ、撮り終わると適当に箱に放り込み、 いっぱいになると捨ててしまう。 「どうして」と玲子は訊いたことがある。 「定着させることに、ほんとうは興味がないのかもしれないな」 少し考えて了一は言った。 「定着」 「シャッターを切った瞬間に、もう終わっているんだ。 頭の中に一瞬とどまって、過ぎ去る……」 「だから、プリントは誰かに任せるの?」 「そうだな。言葉にすると、そういうことになるが…… 実はよくわからない」 眠っている彼の横にも、カメラはあった。 小鳥。 青年の彼の声をふいに思いだす。 結局、自分を撮った写真のことを、訊きそびれていた。 長塚了一の写真は、本や展覧会でたくさん見ている。 どちらかというと、荒々しく、 触れると手を切りそうな質感の写真だ。 彼が撮った自分は、どんなものなのだろう。 玲子の肉体はいつも、空気に馴染んでいない気がしていた。 醜い異物が世界にまぎれているような……。 彼はどんな風に撮ったのだろう。 見たいような、恐ろしいような気がするのだ。 彼がペンのキャップを握っていることに気づき、 玲子はてのひらをそっと、開く。 気づかれないように開いたつもりだったが、 了一は身じろぎをし、眩しそうに手の甲を瞼に押しつけた。 「玲子、ただいま」 「おかえりなさい」 優しくて、だらしない了一。 脱ぎ散らかした靴下。 しわだらけのシャツ。 インクの染み。 残したコーヒー。 了一のいる光景が目に焼きつく。 あの日、変わったはずの色あいが、 ほんの少し、以前に戻った気がした。 どうして、この人と抱きあえないのだろう。 玲子は初めて、そのことが哀しくなった。
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