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あるいは作品を作る?
なにかを選ばないといけないことは
わかっていたつもりだった。
だけど。
まるで、余生を過ごすみたいにして、
これから長い時間を過ごさないといけない。
それは恐ろしいことだ。
先生の作品を、まるで自分のもののようにして
焼いた時間が長く、幸福だったゆえに。
生きていても、死んでいるような時間が、
耐えがたいくらい、続く。
十年も、二十年も。
もしかすると、老いさらばえるまで。
僕には長塚先生の世界を印画紙に定着させること以外、
やりたいことなど、ない。
もう、僕の世界は、とうに消え失せているのだ。
いや。
そもそも、そんなものは、なかったのかもしれない。
そう考えたとき、僕はなにかの
スイッチを押してしまった。
「そんなの、耐えられる?」
玲子さんも、押した。
口付けは彼女からなされた。
僕たちは長い口づけをし、体を寄せ合い、
服を着たまま、急かされるように、
交わった。
二度目の彼女の体はまだ、硬くはあったが、
それでも湿り気を帯びていた。
もし、彼女と抱き合わなければ。
僕たちは死んだような日常を、
淡々と送り、それでもどこかへと運ばれていたはずだ。
溺れそうになりながら、
手近な木片や浮いているなにかをつかみながら、
前へとすすんでいたかもしれない。
やがて、島へとたどりついたかもしれない。
(あるいは、溺れていたかもしれない)
けれど、僕らの目の前に浮いていたのは、
彼女が扱い慣れていた、
鋭いナイフだったのだ。
それが彼女の手首にあてられたとき、
なんの疑問も感じなかった。
それが運命だし、
最上の解なのだと、信じた。
恐ろしいほどの血が流れて、
ソファにしみ込んでも。
第二章
水谷昌に長塚了一を引き合わされたとき、
玲子は懐かしさをおぼえた。
「どこかで、お会いしましたか」
と了一に訊くと、彼は眉間にしわをよせ
「そんな気もしますね」と言った。
「おいおい、社交辞令なんて、珍しいじゃないか」
水谷は笑ったが、了一は「いや、ほんとうにどこかで」と
まだ、考えこんでいた。
「俺の舞台を見ているから、当然、お前は知っているだろ」
「いや、そういうんじゃなくて」
「じゃあ、くどいてんのか」
水谷の追求に、ふ、と表情を崩した了一の顔に、
玲子は魅せられた。
一見、こわもてなのに、笑うと
内気で繊細な少年のような顔になる。
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