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男の言葉に千代は慌てて辺りを見渡した。帯の中から拾円札を取り出して素早くそれを男に渡した。途端に物売りは黙り、ニヤッと笑った。
その男を睨むように千代は見て、すぐに背を向けて足早に去った。
残った四拾円で調味料と南瓜、粉類やみかんを買い込み、風呂敷を背負って家へと戻った。
ガラッ
玄関を開けて廊下に荷物を下ろすと休む間もなく、千夏が走って来た。
「これ、見て!」
千夏は筆を走らせただけの文字にもならない文字が書かれた半紙をこちらに見せる。
「・・・・千夏が書いたの?」
その千代の言葉に彼女は顔を左右に動かした。
「ううん・・・・お父さんが」
千代は呆気にとられて口を開けた。こっちはこの寒空の下、重い荷物を持って買い出しをしてきたというのに。
怒りが込み上げてきて廊下をバタバタと勢いよく歩き、奥の部屋の障子を開けた。
「何だ、ドタドタと・・・・・・気が散るだろう?」
千夏だと思って見た先にはそれよりも遥かに長身の千代が立っていた。
「ああ・・・・千代か。また、千夏が邪魔をしに来たのかと・・・・・・」
布団とは反対側の小さい机に向かい、筆を持って正座する巌がいる。左手は墨で汚れていて、畳には半紙がそこらじゅうに散らばっている。
「字の練習ですか」
「ああ・・・・見ての通りだ」
「私は今、朝市に行ってきて、食糧を買ってきました」
「ああ、そうか・・・・・・」
「ああ、そうかって・・・・・・」
口調を強めて千代はこちらを睨む。
「なんだ・・・・・・何をそんなに怒っている?」
「何って、私が朝早くに買い出しに行って重い荷物を持って帰ってきたというのに、巌さんは字の練習ですか」
そう言いながら千代はその場に正座し、散らばった半紙を掻き集めた。
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