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優しい口調で巌はそれを言っていたが、千代には自分から二人を遠ざけようとしているような、邪魔者扱いをされているような言い方に感じた。
「分かりました・・・・」
千代は湯呑みを握り締めて立ち上がり、障子を閉めた。
タンッ
募る苛立ちから手に力が入る。
千代にはどうしても巌が好き勝手にやっているとしか思えなかった。
字を書く暇があるなら、買い出しの手伝いでもしてくれればいい。働きもせずに字の練習だけして片付けもしない。それでいて飯は食らう。
まるで千夏がもう一人増えたかのようだ。
「お母さん、お腹空いた・・・・」
廊下を挟んだ隣の部屋で寝ていた千夏と鉢合わせた。彼女はまだ眠い目を擦っている。
「芋汁があるから、食べましょう」
「うん・・・・」
千夏を居間に連れて行き、千代は昼食の準備を始めた。
それから一週間程が経って終戦後の大晦日を迎えた。
無事に帰還した巌を祝うための会を開くことになり、近所の者や巌の会社の同僚たちが大衆食堂に集まっていた。
「本日はこのような会を開いて頂き、ありがとうございます・・・・」
軍服に身を包んで深々とお辞儀をする巌に皆注目をしていた。というのも、ほとんどの者が彼が本物の巌であるかどうかの判断がつけられずにいたからだ。
変わり果てた姿というのもそうだが、人々が記憶していた彼はもっと明るく、笑顔溢れる青年という印象が強かった。
そんな面影もない彼を敬遠する人々の中から、一人の男が叫んだ。
「巌ちゃん、そんな堅い挨拶、抜き、抜き!今日は飲んで楽しもうなぁ!」
近所に住む酒屋のおやじ、源太がそう野次を入れた。巌は口を閉じてもう一度お辞儀をすると席に着いた。
「本当に良かったよ。無事で何よりだ」
「営業所は焼けたからな・・・・当分は仕事もないだろうな。ゆっくり養生しろよ、中津」
同僚の木元がそう声をかける。続いてもう一人の同僚、時田が口を開いた。
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