課外授業:抗えない好き

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***    結局心の準備もままならない状態で、三木先生の住むボロアパートに到着した。呼び鈴を押そうとした瞬間、勢いよく開けられる扉の音にギョッとして、体を身構える。 「んー、反応はいつも通りだな。入れよ」  反応はいつも通りって、一体何の反応を試してるっていうのだろうか。ビクビクしながらお邪魔しますと呟き、家に上がった。 「早速だが、隠してること全部吐け。吐いたら、すっごく楽になるぞ」  言いながら、いつもの所定の位置に座る三木先生。私はどうしていいかわからず、その場に突っ立ったまま、制服のポケットに手を入れて、むーっと考える。その時、目に入った本棚の『古事記』は、相変わらず逆さのままだった。 「三木先生にずっと聞きたいことがあったけど、なんかムダに考えちゃって聞けなくて……」 「何が?」 「こっ、これについてなんですっ!」  身を翻し、本棚から『古事記』を抜き出すと、ぱらぱらページをめくって写真を取り出し、目の前に見せるためにテーブルに置く。次の瞬間、三木先生は眉間にシワを寄せながら息を飲んだ。  あからさまに態度を一変させた原因の写真はやっぱり、触れちゃいけないものだったのかな。自分の気持ちを隠すために、とってつけた事情とテーブルに置かれた写真。  そして突っ立ったままの私と、黙り込んでしまった三木先生。  部屋に漂う重たい空気が体を包み込み、時計の秒針の音が静寂のときを刻む。 「……こんな過去のことを持ち出して、おまえはなにが知りたいんだ? それを知ってどうする?」 「そっ、それは、えっと、ただの好奇心からで――」  好きだから三木先生のすべてが知りたいとは、口が裂けても絶対に言えない。 「好奇心か、なるほどね。僕みたいな男が、女の子と一緒に写ってる写真は珍しいもんな」  写真を手にとってしげしげと眺めるその目は、どこか悲しげに見えた。 「三木先生としてはもう終わった過去なのに、引きずってるように見えるのは私の気のせいなのかな」 「……引きずるさ。このコは、僕が殺したようなもんだからな」 「え――!?」  告げられた事実に、顔を強張らせるしかない。言葉がなにも思い浮かばず、口をパクパクする。そんな私を三木先生は一瞥して自嘲的に笑うと、テーブルに頬杖をついた。 「自分の夢に夢中になって、大事なものを壊したんだ。軽蔑したければ、すればいいさ」 「軽蔑なんて……しないよ。だって」  だって私は――。  ポケットからゆっくりと両手を出して、覚悟を決めるようにぎゅっと握りしめた。 「どんな過去があっても、軽蔑なんて絶対しないよ! だって私は三木先生のことが好きだから……。大好きだから!」  口から心臓が出そうな勢いで、ドキドキしまくってる。頬もきっと、すっごく赤くなってるだろうな。  全身から熱がぶわーっと上がってるのか、羽織ってる制服の上着を脱ぎたくてしょうがなかった。 「奈美?」 「その……。よくわからないんだけど、いつの間にか好きになっちゃった、みたな」 「好きって、おまえ――」 「相変わらずボキャブラリー足りないから、うまく言えないんだけど。未だに三木先生のどこが好きか全然わかんないし、顔だって正直好みのタイプとはほど遠いし」 (ああ、もう、なに言ってるのかワケわからなくなる! 読書感想文同様に自分の気持ちを伝えるのって、本当に難しい)  途中から恥ずかしすぎて、三木先生の顔が見ていられなくなり、俯きながら必死に告げてしまった。 「三木先生の性格だってかなり変だし、なに考えてるかわらないし、なのにどこか計算高くって授業中に格好よく見えることが、ちょっとだけあったりして」 「なんだかほとんど、けなされてるようにしか聞こえないんだが?」  三木先生はクスクス笑いながら立ち上がって、私の目の前に来た。 「ありがと。やっぱ好きって言われると嬉しいもんだな」  恐るおそる顔を上げて目の前にいる先生を見たら、ちょっと照れた顔をして右頬をポリポリ掻いていた。  最近気がついた先生のクセ。すっごく照れたときに、右頬を掻く仕草は前はバカにしていたのに、今はそれが可愛く見えた。 「でもおまえは、僕の可愛い生徒だから、その……」 「……私が卒業したら、もう生徒じゃなくなるよ。三木先生のお嫁さんにだってなれるんだし」 (可愛い生徒なんていう言葉で、線引きされたくない――)  今度は俯かないで、ちゃんと顔をあげ続けた。 「お願いだから言葉を濁さないで、きちんと三木先生の気持ち、教えてください!」 「教えろって言われてもだなぁ」 「私、知ってるんだよ。誰かに頼まれて書いてる文章、本当は書きたくないんだって」 「そんなこと、ないって……」 「ウソつかないでよ。じゃあどうしてここで仕事をしてるとき、今みたいにやるせない目をしているの? 目は口ほどに物を言ってるんだよ、三木先生!」 「奈美、落ち着けって」 「本当のこと、ちゃんと言っ――」  ちゃんと言ってほしいと口にしようとしたけど、言葉がさらわれてしまった。三木先生が私を唐突に抱きしめ、キスをしたから。  ちょっとだけカサついた唇が、私の唇と重なってる。抱きしめられた体から先生の体温が伝わってきて、頭が沸騰しそうだった。ものの数秒間が、永遠に感じられた時間――呼吸も思考もなにもかも奪われて、気付いたら涙が頬を伝っていた。 「これが僕の気持ちだ、わかったか?」  告げられた言葉が嬉しすぎて、コクコクと首を縦に振るのが精一杯だった。 「よし、わかったなら今すぐ帰れ。帰らないとヤバいから」 「ヤバいって、どうして?」  涙を拭いながら真面目に聞いた私の頭を、三木先生はぐちゃぐちゃと撫でる。 「あー、今のおまえが可愛すぎるから……。教師と生徒の垣根を、簡単に超えちゃうかもって話だ。だからさっさと帰れ!」 「うっ……」 「そんな期待のこもった目で、僕を見るなよ。ダメダメ、まだ早いから!」  言いながら強引に私の背中を玄関に向かって、どんどん押して行く。 「気をつけて帰れよ。いいか、まっすぐ家に帰るんだぞ」 「そんなことわかってるよ。三木先生あの……」  玄関で靴を履き、もじもじしながらやっと口を開く。 「先生の気持ち、嬉しかったです。ありがと……」 「おー、それは良かった。じゃあな」  上目遣いで照れてる顔を確認し、逃げるように三木先生の家をあとにした。
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