課外授業:苦手な教師

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*** 「ねぇねぇ聞いた? 理科の佐川先生と三年の森川先輩、どうやら付き合ってるらしいよ」 「マジで? だって先週、隣のクラスの成瀬さんが佐川先生と抱き合ってるのを見たって、奈美っちが言ってたよ」  次の日、女子高で走る噂の早さに驚きつつ、自分のことで頭を悩ませていた。 「奈美っち、言ってたよね?」  内心困り果てているタイミングで、友達に話しかけられてしまい、ぶわっと頭の中が混乱する。なんとか記憶の糸を手繰り寄せて、先週のことを思い出した。 「えっとー、あれは放課後だったかな。図書室に行こうとして、理科準備室の前を通ったら、たまたま見えちゃったんだよね」 「げーっ、それって完全に二股でしょ。前にも佐川先生と噂になった生徒が、ほかにもいたよね?」  友達の嬉しそうな会話を耳にしながら、机の中に入っているおぞましいラブレターを、どうやって三木先生に届けようかと、ない知恵を絞って必死に考える。こうやって教師とふたりきりで逢っているだけで、なにかと噂をされる場所――それゆえに慎重に行動しなければならない。  奈美が三木先生と付き合ってる! なんてことを言われた日にゃ、ここで生きてはいけないと思わされた。 「はぁ、どうしよう……」  あれこれ思案しているところに、授業がはじまる予鈴が耳に届いた。次の授業は現国だから、必然的に三木先生と顔を突き合わせることになる。手渡すなら、この時間がチャンスだった。 「おーい、授業はじめるぞ! 立ってるヤツ、早く席に着けー。いつまでもピーチクパーチクしゃべり倒すな。授業が終わってからにしろよー」  気だるそうな顔で教室に入ってくるなり、大きな声で注意をした三木先生を、こっそりため息をつきながら視線で追う。教壇に立った途端に、銀縁の眼鏡を押し上げて口を開く。 「あー、来週予告なしに、漢字のテストやるからな。範囲はテキトー。普段アプリのメッセージやスマホでゲームばかりしてるおまえらに、僕からのプレゼントだ。しっかり勉強しておくように!」  その言葉で、教室中にげんなりする空気がそこはかとなく流れた。  頬杖をついて前を見る私に、三木先生はにやりと笑って、わざわざ視線を飛ばす。逆三角形の顔立ちがシャープだからこそ、笑うと気持ち悪さに拍車がかかるというのに、残念な人だよなぁと内心毒づきながら、どうやって手紙を渡すかを考える。そのせいで、どうしても授業の内容が頭の中に入ってこなかった。 「おまえらー、次回やる漢字の小テストに向けて、ちゃんと勉強しなきゃダメだぞ。じゃあこれで今日の授業は終わりなー」  間の抜けたその声で、はっと我に返った。 (――ヤバいよ。このタイミングを逃したら、今日の手紙を渡し損ねる!)  机の中にあるノートを慌てて引っ張り出し、ささっと手紙を挟めて、教室を出ていく三木先生の背中を追いかけた。 「み、三木先生っ!」 「んあ? どーした、そんなに慌てて」  ボサボサ頭を掻きながら、ゆっくり振り返る三木先生の目の前に、手に持ってるノートを差し出す。 「これ、読んでください。大事なものも、しっかり挟まれてますので」 「あー、例のアレね。わかった、預かる」 「それじゃあ、失礼します」  ふたりきりで話しているところを誰にも見られたくなかったので、素早く一礼をして、脱兎のごとく駆け出し教室に戻った。 「ねぇ奈美っち。NHKとなんの話をしてたの? 慌てて追いかけるなんて、すっごくあやしー!」  予想通り、友達からツッコミがなされてしまった。動揺をひた隠して自分の席に戻り、机の上に置きっぱなしにしているノートを見せて、にっこり微笑んでみせる。 「いやぁ授業中に、どうしてもわからないところがあってね。それをノートにまとめて、質問をたくさん作ったんだ。NHKの授業って、ツッコミどころが満載だから、今頃困ってるだろうな」  あははと声を立てて笑いながら、うまい具合にごまかした。 「でも奈美っちが今持ってるノートって、現国のノートだよね。別のノートにまとめたんだ?」 「へっ? キャーッ!」 「ちょっ、どうした、どうした?」  自分がやらかしてしまったことに、激しいめまいを覚える。嵐の中を彷徨う船に乗ってるような、大きなめまいだった。 「ななな、なんでもないよ。さて次の授業は数学だよね。イケメン教師の授業は、無駄に気合が入るなぁ!」  いつも以上に大袈裟に笑って、友達の肩をばしばし叩きまくり、困惑しまくる自分を一生懸命に隠す。頭の中では某お笑い芸人が「ヤバいよ、ヤバいよ」と叫びながら、縦横無尽に走り回っている状態だった。  三木先生に渡したノートには、自作の小説が書いてあった。しかも口にできない卑猥なシーンが、はっきりくっきり表現されているという、誰にも見せたくないもので――。  あまりの出来事で目の前が真っ黒になり、、数学の授業は右から左に流れていくだけだった。 『これ、読んでください』  読むことをねだるように言って、手渡してしまった。だからこそ間違いなく、三木先生は読んでしまっただろう。  数学の授業が終わって、すぐに職員室に向かった。はやる気持ちを押さえながら、職員室の前で待ち構えていたのに、三木先生は現れず、次の授業の予鈴が鳴ってしまった。  その後も時間を割いて三木先生を探したのに、校内のどこを探しても見つからなかったのである。休み時間でも一番長い貴重な昼休みまで使ったのに、泣くに泣けなかった。  結局職員室に伺う時間を作れたのが、その日の放課後になってしまった。 「失礼します……」  テンションだだ下がりのまま、渋々職員室に顔を出す。そんな私を窓際を背にした位置から、意味ありげに微笑む三木先生が、口元を緩めて見つめる。 (絶対に読んでるから、あんな顔をしているに違いない……)  このあと訪れるであろうショックに、のけ反りながら頭を抱える自分の姿を想像しつつ、重たい足をなんとか動かして、一番角にある三木先生の場所に向かった。 「あのぅ三木先生、ノート返してください……」  恥ずかしすぎて言葉が上手く続かず、語尾が小さな声になってしまった。頬も若干熱い――こんな顔を三木先生に見せてる時点で、なんの罰ゲームなんだよと思わずにはいられなかった。 「ああ、あのノートな。今は手元にない」 「はあ?」 「だってよー、すっごく面白そうな内容だったから、ニヤニヤしながら読んでる姿、誰にも見られたくないだろ。だから、車の中でしっかり読ませてもらった」  おもむろに頬杖をつき、見るからに気持ち悪い笑みを頬ににじませる。 (車の中にいたのか。そりゃ校内中探しても、見当たらなかったハズだよ) 「そうですか、読んだんですね……」 「だっておまえが読んでくださいって、わざわざひとこと添えて渡したろ。読んでほしくて、僕に渡したんじゃないのか?」 「間違ってノートを渡しちゃったんです。現国の先生に読んでほしいなんて、そんな大それたことをしませんって」 「でもよかったぞ。主人公が死んじゃうとは、予想してなかったけどな」 「それって、最後まで読んだんですね……」  軽快なやり取りをしながら、心の中でさめざめと泣き崩れた。エロシーンを読まなきゃたどりつかない、主人公の最期。穴があったら、すっぽり入りたい気分に陥る。 「あのさー安藤。このあと時間あるか?」  吐き気をもよおすほどの恥ずかしさで、どうしても顔を上げることができなかった私は、上目遣いで三木先生の顔を見た。 「なにも用事がないので、空いてますけど……」 「職員会議がニ十分くらいで終わると思うんだけど、ノートの中身について、ちょっと話がしたいと思ってさ。校内でふたりきりでいるトコ、他の生徒に見られたくないだろう?」 「そうですね。三木先生ですから」 「あっさり肯定するんだな。軽く傷ついたぞ。可愛い顔して、猛毒を吐くタイプだったのか」  苦笑いした三木先生は私の手を取り、強引になにかを握らせた。 (――なんだろ、車のカギ?)  てのひらの中身と、三木先生の顔を交互に眺める。 「職員駐車場にあるケロカーに、先に乗って待ってろ。会議が終わったら、家に送ってやる」 「ケロカー?」 「見ればわかる。助手席にノートがあるから」  その言葉で直ぐにでもノートを奪取したくて、しっかり一礼してから教室に戻り、鞄を手にして職員駐車場に向かった。 「確かに、ケロカーだわ」  うちの学校の先生たちはいいお給料を貰っているのか、高級感漂う車に乗ってる人が多くいた。その中に隠れるように、黄緑色の軽自動車が『ケロッ』という雰囲気を漂わせて、ひっそりと駐車されている。ライトの部分がまさに、カエルの目のようだった。  恐るおそる近づいてみると言われた通り、助手席に置いてある創作ノートを発見! 前後左右を確認してからキーレスエントリーでカギを開け、急いで車の中に入った。  ドキドキしながら、ぎゅっとノートを抱きしめる。 「とにかく、手元に戻ってきて良かった」  安堵のため息をついてから、なんの気なしにノートを開いてみた。 「ちょっ、何なの、これ――」  横書きで書かれた私の文章が、あちこち赤や青の枠でしっかりとくくられてあった。その意味はまったくわからないけど、添削されているのが明らかな状態に、驚きを隠せない。 (何だろ、本当に。文章の使い方が変だとか? それとも意味不明なところを、囲ってみたのかな)  めくってもめくっても、赤と青のコントラストがこれでもかと書いてある。誰かに読まれるなんて考えず、思いつくままに書いた自作小説。時代背景も適当な感じで、文章同士の繋がりが悪い部分は空欄にして、無理やりラストにもっていった作品だった。当初の目標が最後まで書くことだったので、一週間前に完結したあとで、最初から手直しをしている矢先に、三木先生に読まれたことになる。 「恥ずかしさの極みだよ。自分の裸を見られたみたいな気分……」  顔を真っ赤にしながら、ぽつりと呟いてしまった。  自分が率先してバカにしている、あの三木先生に読まれてしまった。私の顔を見たときの、意味ありげな薄ら笑い。思い出しただけでも、すっごく気持ち悪い。  (ノートの中身について、ちょっと話がしたいって、一体なんだろう? きっと、この赤と青の枠についてだよね。アイツにバカだの下手だなんて言われるのが、ハッキリと目に浮かぶ)  気持ちが地の底まで落ち込み、沈みきったタイミングで三木先生が爽やかな顔して運転席に乗り込み、置きっぱなしにしている車のカギを手にする。 「あー、待たせたな。どうした? そんな暗い顔して」  笑いながらエンジンをかけたので、渋々シートベルトをしめた。 「別に。悩み多い年頃なんですよ。いちいち突っ込んでこないでください」 「おー、怖い怖い。捕って食われそうだ。最近の女子高生は肉食だからな」  三木先生はワケのわからないことを言い放ち、シートベルトをしめてから、ケロカーをスムーズに発進させる。 「おまえの家、緑町だったよな?」 「はあ、そうです。緑町にある住宅街にありますが……」  上機嫌で訊ねる声に、内心うんざりしながら答えた。三木先生が自宅を知っていることに、不快感が増していく。 「実は僕の家さ、その住宅街の手前にあるボロアパートなんだ。結構、ご近所さんだったのな。生徒名簿見て驚いた」 「はぁ、そうですか……」  気分が最悪のまま、車窓の見慣れた景色に視線を移す。落ちるところまで気持ちが落ちているので、目に映る景色が全部灰色に見えた。カラーで映らない、壊れてしまったテレビを見てるみたいだった。 「安藤の今の様子、意気消沈って感じだな。そんなにあのノート、僕に見られるのがイヤだったのか」 「三木先生だけじゃないです。誰にも見られたくなかったし……。書いてる内容がアレなワケなんだから、当然でしょう?」 「面白かったって言ってるのに、バカだな。もっと喜べよ」 「わーい……」  ワザとらしく両手を上げて、喜ぶフリをした。そんな私を三木先生は運転しながら横目でチラリと見、小さなため息をつく。 「最近のガキはなにを考えてるか、さっぱりわからねーな」  どこか面白くなさそうに呟いた運転手によって、ケロカーは一路、ボロアパートに向けて加速した。
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