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「まいったな、まったく……」
風呂上り、ぼんやりと今日あった事を考えてみる。照れた奈美の顔を見て、素直に可愛いと思った。それはいつものように、思っていたことなのだが――。
(どうしてあのとき、胸が高鳴った? 一瞬だけどドキドキして、頬に熱を持ってしまった)
相手は生徒なのに。自分とは年の離れた教え子なのに。これじゃあ僕は、どこぞのエロ教師と同じじゃないか。
「あー、ヤダヤダ。ビールを呑んで気分を紛らわそうっと」
いつも着ているジャンパーを颯爽と羽織り、気だるげに靴を履いて玄関の扉を開けたとき、表で人の気配がするのを感じた。
「あの、本当に大丈夫ですから。ひとりで帰れます……」
聞き覚えのある甲高い声が聞こえたので扉から顔を出し、通りの方を目を凝らしてよく見ると、奈美が見知らぬ男に肩を抱かれている姿が、目に飛び込んできた。
「奈美ちゃんって、意外と照れ屋さんなんだね。可愛いなぁ」
「いや……。照れてません」
奈美からは、明らかに嫌悪感満載のオーラがビシバシと放たれているのにもかかわらず、なんとかしようと接近している男を見ているうちに、僕の中にある使命感に火がついた。
(これは急いで、可愛い生徒を助けなければ!)
そんな熱意と共に一歩前に踏み出したが、直ぐに立ち止まった。薄暗がりでもわかるくらいに、相手の男がイケメンで、奈美もパーティらしく大人っぽい服を着ている。それに比べて自分の姿は、ため息をつくしかない状態だった。
(上は安物のジャンパーに、下はノーブランドのジャージ姿で、助け出そうとした僕っていったい……)
今から着替えたんじゃ間に合わない。最終手段はもうコレしかないと思い立ち、慌てて髪の毛に分け目を付けて、手串で整えてみた。この髪形に、この格好ってどうよ? と奈美からツッコミが入りそうだが、そこはあえて無視する。とにかく一大事なんだ、奈美を早く助けなければ。
「おー、奈美! 今、パーティーの帰りか?」
作り笑いを浮かべながら、ふたりの傍まで颯爽と歩いて行く。途端に奈美の顔が引きつったが、そんなの気にしない。
「奈美ちゃん、この方は誰だい?」
「ええっと……」
おいおい、口ごもるなよ。身なりについて非常に難はあるが、一応おまえのカレシ(仮)なんだぞ。
「彼女をここまで送ってくれてありがとう。ここからは彼氏の僕が送っていくから」
「えっ、彼氏!?」
男は僕と奈美を交互に見やると、信じられないといった顔をしてくれる。変なオッサンの登場に、辟易したといった感じだろうか。
「社会人の僕と未成年の彼女が付き合ってることを知られるとほら、いろいろあるでしょう?」
奈美の傍に寄り添うようにしている男から強引に引き離して、自分の体にくっつけてやった。これは僕のだ! と勝手にアピールしてみせる。
ぎゅっとくっつけた体に感じる奈美の柔らかいふくらみに、ちょっとだけドキドキしてしまったのは、気のせいだということにしておこう。
「奈美が卒業してから、きちんとご両親に挨拶しに行く約束をしているんです。僕らはそういう関係なんで、諦めてください」
言いながら腕を組んで、奈美を引きずるようにして歩き出した。
「あの猛さん、ここまで送ってくれて、ありがとうございました。ごめんなさいっ!」
引きずられながらもきちんと礼を言う奈美を内心偉いと思い、じっと見つめた。ドレスアップした姿――いつもの制服姿と違い、大人っぽくて清楚で結構可愛い。
「あの三木先生、ありがとうございました。その……すごく助かりました」
僕がじっと見つめていると、奈美はどこか恥ずかしそうな顔しながら、こちらを見上げる。雰囲気の違う奈美の直視に耐えられず、慌てて目を逸らした。
「たまたま買い物に出かけようとしたら、奈美の声が聞こえてきたんでな。明らかにおまえは迷惑そうにしてるのに、それを無視した男にまとわりつかれて、思いっきり辟易してただろ?」
チラッと横目で奈美を見ると、未だに僕の顔を見つめている。しかも、何か言いたげな感じがした。妙な雰囲気を感じて、口を噤みながら視線を右往左往させるしかない。
「三木先生、もしかしてお風呂上りですか? 風邪を引いちゃうかもしれないのに」
奈美は首に巻いてた布をわざわざ外して、僕の首にかけてくれた。もしや、マフラー代わりだろうか?
「生徒に心配されるほど、僕はヤワじゃない。大丈夫だから!」
「ダメですって! 三木先生は若くないんだから」
両手に拳を作りながら力説されても、奈美のボキャブラリーからは説得力が皆無だった。
「まったく強情な生徒だな。しかも年寄り扱いするって、さりげなく酷い」
「年寄りついでにその髪形、もっと老けて見えますよ」
目の前で口元を押さえて、おかしそうにクスクス笑う。だったら、どうすれば良かったんだろうか?
「だって、しょうがないだろ。さっきの男が、結構イケメンだったからさ。僕が対抗するには、コレしかないって思ったんだ」
「いつものボサボサ頭でも大丈夫だったのに。何を血迷って、可笑しなほうに走っているのやら」
肩を竦めながら口元を押さえ、吹き出しそうになっている奈美に、僕は思わず声を荒げてしまった。
「それだけじゃなく! ……その、おまえもドレスアップしていて、そのまま横に並ぶのが、どうしても居たたまれなかったんだ。普段見る制服と違っていたから、いつもの感じじゃなかったし。あとは――」
頭の中に浮かんでくる言葉を口にしつつ奈美を見ると、目を瞬かせて不思議そうな表情を浮かべる。
「それでドキドキしてたの?」
(ゲッ、バレてたのか!? あーそういえば、体を引っ付けていたからな)
「どっ、ドキドキするに決まってるだろ。あの場面をだな、どうやり過ごそうかと、必死になって考えまくったんだ。相手はイケメン御曹司風だったし、奈美はこんなだし、僕はヨレヨレの冴えない教師だし!」
しょんぼりしながら告げるしかない。僕ってばホント、格好悪いったらありゃしないじゃないか。
「確かに冴えない教師だけど、やっぱりいつもの髪形のほうが、私としてはカッコイイから!」
「おー、ありがとな」
カッコイイという奈美からの言葉に、自然と笑みが頬に滲み出て、思いっきり照れてしまった。意味なく頬をポリポリ掻いて、だんまりを決めこむしかない。相変わらず、誉められることには慣れないな。
「三木先生ってば、ちょっ、なにその変な髪形でテレまくってるの。も~気持ち悪いったら、ありゃしない! カッコイイって言ったのは見慣れてるからであって、別に変な意味なんてないんだからね!」
心底呆れたといった口調で言い放ち、背伸びをして僕の頭をグチャグチャにした。乱暴な手串に苦笑いをしながら、奈美の頬に触れてみる。思ったよりも、冷たくなっていた。僕のせいで、風邪を引いたら大変だ。
「早く家に入って、風呂入って寝ろよ。肌が冷たくなってる」
「そっちこそ早く買い物に行って、家に帰ったほうがいいよ。頭、濡れてるんだから風邪引いちゃうでしょ」
心配そうに見つめる奈美の視線が、ちょっとだけ嬉しかった。
「おー、じゃあコレ借りてくな。ありがと奈美」
「こっちこそ、ありがと……。おやすみなさい」
奈美から借りた布から、あったかい温もりを感じた。あったかくて、とてもいい匂い。そんな幸せを噛みしめながら、コンビニまでひとり歩く。胸の高鳴りは、気のせいなんかじゃないみたいだ。
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