課外授業:苦手な教師

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***  三木先生が住んでいるボロアパートは、通学路で使ってる道路に面していた。 「ホントに、ウチの目と鼻の先だ」  驚きながら車窓を眺めていたら、ボロアパートの前にケロカーが停車した。 「三木先生、自宅に送ってくれるハズじゃ?」 「少しだけ話が長くなりそうだから、僕のウチに寄った。悪いが、外で待っていてくれるか。家の中をちょっとだけ片付けてくる」 (――話が長くなるなんて、一体なにを話すつもりなんだろう?)  そんな一抹の不安を抱えながら、アパート一階の角部屋の前で待ちぼうけをくった。暇をつぶそうと、キョロキョロした私の目が足元に留まる。手作りなんだろうか、学校の授業で作ったような郵便受けが、ぽつんと置いてあった。思わずしゃがみ込んで、まじまじと観察してみる。  板のところどころがハートや星の形にくり貫かれていて、色も赤とピンクで綺麗に塗装された可愛い感じの作りだった。そんな郵便受けの上に、三角刀で丁寧に彫られた『三木』という文字。全体の作りや、掘られた文字の印象から導き出されるのは、女子が作ったのは明らかなものだということ。もしかして三木のヤツ、女生徒と付き合ってるかもしれない。 「待たせたな、入っていいぞー」  三木先生は、扉から顔だけひょっこり出す。その声にはっとし、慌てて立ち上がった。 「あーそれ、可愛いだろ。身内が授業で作ったのを、プレゼントしてくれたんだ」 「へえ、そうなんだ。ふーん」 「安藤が考えるような、不純な付き合いを僕はしないって。ガキには一切、興味が沸かん。どこかの理科教師みたいに、見境のないヤツも実際にはいるけどなー」  言いながら私のオデコに、ぺちっとデコピンする。 「いったいなぁ、もう!」 「おまえの考えてることは、悪いが全部が筒抜けだ、顔に出すぎ。さっさと中に入らないと、誰かに見られるかもよ? 一緒にいるところを、他の生徒に見られたくないんだろ」  そのセリフで我に返って、前後左右をしっかり確認してから、三木先生のお宅に足を踏み入れた。 「お邪魔しまーす……」  デコピンされたオデコをさすりながら入ると、1DKの部屋の壁一面に、本がぎっしりといった感じで、本棚に整然と置かれていた。 「すごっ、何か図書館みたい……」  目に映った感じをそのまま口にすると、三木先生はちょっとだけ得意げな顔をする。 「まーな、一応国語の教師だからさ。これでも、まだまだ足りないくらいなんだぞ」  本棚に近づいて背表紙をチェックしてみたけど、さっぱりわからない代物ばかりだった。 「三木先生、この地域で大地震が起きたら、本に潰されて死んじゃうんじゃない?」  振り返って呆れながら言ってやると、肩を揺すってなぜだか嬉しそうに笑う。 「それはそれで本望だな。ところでコーヒー淹れるけど飲むか?」 「ごめん、コーヒー苦くて飲めないや。苦くないのなら、何でも飲めるけど」  ガスコンロにやかんをセットしてお湯を沸かす背中に答えると、はあ!? と呆れた声が返ってきた。 「おまえ普段から、甘いものばかり食べてるだろ。だから苦いものを口にしないんだ。味覚障害になるぞ、まったくー」  なぜか憤怒して、ぶつくさ言いながら台所でお茶の用意をする。数分後、私の目の前に用意されたのは、バニラの香り漂うコーヒーだった。 「えっと私、コーヒー飲めないって、先に言ったよね……」 「苦くて飲めないから飲まないなんて、子どもみたいなこと言ってんじゃねーよ。騙されたと思って飲め!」  メガネを無意味に上げながら力説する三木先生に、仕方なくマグカップを手に取り、恐るおそる口をつけてみた。 「あ、微妙に甘いかも――」 「そりゃそうだ、ちょっとだけ砂糖を入れてあるからな。苦味自体も、そんなに感じないだろ?」 「うん、このコーヒーなら飲めるよ」 「ライオン印のバニラマカダミアだ。そのバニラの香りで、苦味が感じにくくなっているんだぞ。コーヒーが全部苦くて、美味しくないという先入観があると、絶対に損をする」 「そうだね……」  先生らしく諭すように告げる三木先生の言葉に、もう一度コーヒーを飲んでみた。ほんのり甘いコーヒーが、じわりと心を癒していく感じがする。 「コーヒーに限らず、他の苦手なことも見方を変えれば、多少なりとも苦手意識がなくなるんだ。逃げずにどんなことでも、果敢にチャレンジしろよな。その経験が、絶対に文章に生かされるんだから」  コーヒーを美味しそうにすすりながら、こっちを見る。いつもの気だるい感じじゃなく、生き生きしたその様子を目の当たりにして、逆に戸惑ってしまった。死んだ魚の目とまではいかないけれど、他の教師に比べて明らかに覇気のない人だったのに、一体なんの理由で元気ハツラツなんだろうか。 「さて、と……。本題はここからだ。まずはマグカップをテーブルに置け、安藤」 (本題って創作ノートの中身のことだよね。例の赤と青の枠の秘密が、ついにわかるんだ――)  ごくりと喉を鳴らして三木先生に言われた通り、テーブルにマグカップを静かに置いた。緊張で、手の中にしっとり汗をかく。 「本題ってなんですか? 三木せ――」  話かけた瞬間に、いきなり抱きしめられた。声を上げる間もなく、体が強引に押し倒されてしまい、開けた視界に天井が映った。 「授業で教わらないコト、僕が手とり足とり安藤に直接教えてやる。おまえが感じるように丁寧にな」  耳元で告げられた聞いたことのない低い声に、体が自然とガチガチに強張っていく。 「ちょっ、やだ……。冗談っ!?」  圧し掛かられた三木先生の体重を、自分の体にイヤというほど感じながら、両手を使って必死に押し退けようとした。メガネの奥の瞳が明らかににギラギラしていて、さらなる恐怖を煽りまくる。 「そんなに震えて、初めてなのか? 大丈夫、優しくするから」  押し退けようとした私の力をものともせず、三木先生は顔をぐぐっと近づけた。 (――ヤラれるっ、好きでもない男にヤラれちゃう!――) 「それ以上、近づかないで変態っ! すっごく気持ち悪すぎて、吐き気が止まらないんだよ、このNHK! ガキには興味ないって言ったクセに、手を出すなロリコン教師っ!」  こんなことを言っても止めないだろうけど、言わずにはいられない! じゃなきゃ私は……。  ぎゅっと両目を閉じて、他に何か言えないだろうかと、脳漿を絞って必死に考えた。 「あーあ。僕に対する安藤の罵詈雑言は、たったそれだけか? やっぱ足りねーな、それじゃあ」 「――は?」 「ボキャブラリーが、絶対的に足りないって言ってんだよ。ほら次はおまえの番、代われ」 (――言ってる意味が全然わからない。しかもおまえの番って、どういうこと?)  不思議顔して固まったままでいたら、両手を使って抱き起こされた。呆けた状態でいる私の隣に、なぜだか三木先生が自ら横にる。 「ほら早く僕にまたがれって。遠慮することないからな」 「ま、またがる!?」 「いいから、ほら。さっさと言われた通りにやれって。そうそう、さっき僕がやったように襲えばいい」  言われるがまま渋々またがり、三木先生を見下ろす形になった。だけど男の人を襲ったことのない私に、どうやって襲えというのだろうか? 「あんな激しいエロシーンをしっかり書いておきながら、襲えないとか言う?」 「そっ、それを言わないで! 実際、できるワケがないでしょ!!」 「しょうがねーな。じゃあさ、『先生っ、私のモノになってください!』と言ってみろ。はい、アクション!」 (げーっ、そんな嘔吐しそうなセリフを、コイツ相手に言えるワケないじゃん) 「早くしないと、本当に襲っちまうぞ。男は見境なく、誰とでもヤレるんだからな!」 「ひーっ、わかりましたよ、もう……。三木先生っ、私のモノになってくださいっ! 多分、好きなんですっ!」  半分脅された形で、言いたくないセリフを吐いてしまった。さっき同様に両目をつぶり、ちょっとだけ三木先生の顔に自分の顔を近づける。  実際のところ、襲ってるとは言えない。それなのに――。 「いやっ、やめてっ! 僕には妻と子がいるんですっ。しかも教師と生徒の垣根をこんなふうに、強引に乗り越えちゃうなんて、いけないんだってば! PTAに見つかったら処罰されるのは、絶対に僕の方なんだからね」  両手で顔を恥ずかしそうに覆い隠し、上半身をくねくねと左右に動かす姿は、どこから見ても異様という言葉でしか表現できないものだった。 「あの……三木先生?」 「大人のすることに興味のある年齢だから、こういうことを進んでやっちゃう気持ち、わからなくはないけど、だからといって、いたいけな僕を襲うなんて、奈美ってば積極的っ」 「ちょっと待って、私は襲ってないし――」 「ああんっ、もう! そんなトコ触っちゃダメ! 感じやすい体なんだからぁ」 (どうしてくれよう、このエロ教師。誰か止めてくれないだろうか……)  あまりの行動と言動に、両手を万歳しながら白い目で見下ろしていると、三木先生は顔を覆っていた手を退けるなり、突如真顔になった。 「……今の違い、わかったか?」 「いや、さっぱり。ぜんぜんわからない」  三木先生の突然の豹変に、頭がまったくついていかなかった。 「さっきも言ったろ。絶対的にボキャブラリーが足りねーって。おまえが言った一の言葉に対して、僕は十くらいは返しているぞ。しかも、白けさせるという技まで見せつけてしまった。すごいだろ?」  ゆっくりと体を起こすと、そのまま私を抱きしめる。 「これからたくさんいろんな経験を積んで、語彙数を増やせばきっと、安藤はいい書き手になれる。頑張れよ」  そう言って、頭を優しく撫でてくれた。なぜだかわからないけど、その時はされるがままになってしまった。さっきまでの気持ち悪さは、どこへいったのか。三木先生の言葉が、じわぁっと心に沁みていく。 「――でもやっぱ、女の子は抱き心地がいいわ。柔らかいなぁ……」  せっかく感動してるところに、げんなりするようなセリフを口にした三木先生の左頬を、私は思いっきり平手打ちしてやる。パシーンという乾いた音が、部屋に響き渡ったのだった。
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