課外授業:苦手な教師

4/4
前へ
/29ページ
次へ
***  テーブルを挟み、改めて向かい合う形で座り直した。目の前にいる三木先生の頬には、私がつけたモミジが綺麗に浮かびあがっている。 「せっかく教育的指導をしてるときに、暴力はいけないと思うぞ」  唇を尖らせて文句を言う破廉恥極りない教師に、語気を強めて注意を促す。 「教育的指導を名目に抱きつくなんて行為は、絶対に認められません。あれは暴力じゃなく、れっきとした正当防衛です!」  じーっと睨みを利かせながら、コーヒーを一口飲んだ。 (押し倒したことを教育的指導と称するなんて、三木先生の頭の中がどうなってるのか、マジで未知すぎる!)  そんなことを考えながら呆れ返る私を余所に、三木先生は斜め上を見ながら口を開く。 「えーっと……夕日の中、なにかをするワケでもなく、ただ一人を見つめてる」  平手打ちされた頬を恨めしそうに撫でつつ、開いていた目をしっかり閉じて、どこか嬉しそうに口ずさんだ言葉に、唖然とするしかない。 「み、三木先生……」 「光が輝きを増すとき、波にさらわれた時間が、ただ色あせていく。だったか」 「ちょっと待って、どうしてそれを覚えてるの!?」  小説のイメージを詩にして冒頭部分に書いたものを、三木先生がすらすらと暗唱した。覚えられていることに驚きを隠せず、三木先生に指を差すのが精いっぱいだった。 「いやー、この冒頭の詩で、心をぎゅっと鷲掴みされてしまってな。つい覚えてしまったんだ。特にラストの……これから出逢う月と夜空のように 君と僕が出逢うように その夜空に星を散りばめ――」 「ややややめてっ! 朗読するなんて、私に死ねって言ってるようなもんなんだよっ」  両手でテーブルをバンバン叩きながら、激しく抗議してみせた。 「恥ずかしがることじゃねーって。きちんと褒めてるのに、おかしなヤツだな。もっと胸張って、堂々とすればいいのによ」  私が最も嫌っているしたり笑いを、三木先生が目の前でする。そのせいで自分の中で制御しているものが、ぷつんと音を立てて切れた。 「車の中でも言ったけど、これは誰かに見せるために書いたものじゃないんだってば! たとえるなら、着替え中を盗撮された感じに思えてならないんだよ」  ノートを手にして三木先生に抗議すると、メガネの奥の瞳をいつもより大きく見開いて、顎を撫でながら返答する。 「小説読んでて思ったんだけどさ、おまえの比喩って絶妙だよな。説得力ありすぎて、反論できねー。膝を叩いて頷くレベルだ」  怒りまくってる私を宥めるためなのか、不意に褒めちぎった。褒められ慣れない私は、思わず口をつぐんで黙り込む。 「安藤が書いた冒頭の詩も比喩も超絶なのに、これまで体験している物事に対する経験不足と、ここぞという場面で書かなきゃならない心情面が、圧倒的というか悲劇的に足りなくて、物語全体が薄っぺらいんだよ。おまえの言葉を借りるなら、淡い光――そうだな三日月の光くらいか」 「三日月の光?」 「ああ、夜空にぽっかり浮かぶ三日月。目には留まるけど、それでおしまい」 (――そうか、私の書いた物は三日月みたいなんだ) 「これからいろんなことを、自ら経験していって文章を書いていけば、満月の手前くらいまでは光が増すだろうな。他に文章力を上げるのに、なにかやってるのか?」 「限られた文字数で呟くアレだったり、ゲームしたり……」 「へえ。白い鳥がマークの、無料であれこれ気持ちを伝えるアレか。昔は十七文字で表現した人間を俳人と呼んだが、安藤は廃人の方なんだな。なにわざわざを呟いているのやら」  ムカつく! どうして人の神経に触ることばかり、三木先生は平気で言いまくれるのだろう。 「すみませんが、廃人レベルまでいってませんから。失礼なことばかり、言わないでくださいっ」 「そんじゃあ僕が、おまえを神レベルまで引き上げてやるって言ったら、どうする?」 (紙? 髪? 神? どれのことを指しているのか、まったくわからないんだけど)  ぽかんとした私に、三木先生は銀縁メガネのフレームを上げて、にんまりと微笑んだ。 「せっかくいいモノを持っているのに、そのままにしておくのが惜しいと思ってさ。僕の手で、三日月を満月まで光らせてやるって言ってんだよ」  告げられたことがどうにも信じられなくて、まじまじと三木先生の顔を見つめながら、疑問を訊ねてしまう。 「三木先生に、それができるっていうの? どんなに考えても、不安しかないんだけど……」  猜疑心溢れるまなざしをばしばし送ると、曇りがちなメガネのフレームを上げて、きりりと顔を引き締める。 「国語の教師をやる前は、新聞記者をしてたんだ。こう見えても一応、文章のプロだぞ僕は」 「プッ、全然似合わなーい。ガセっぽい」  笑撃的ともいえる事実に、思わず笑ってしまった。 「で、どうするよ。僕の手を取るのか?」  突き刺すような視線をいきなり向けられて、自然と体が緊張した。  自分の書いた文章が、今よりもいいものになる――三木先生の手を借りるのは正直すっごくイヤだけど、身近でいろいろ指導してもらえるのは、表現力を上げるチャンスかもしれないな。 「なにも知らない未熟者ですが、どうぞヨロシクお願いします!」  覚悟を決めた私はその場で姿勢を正し、きっちり頭を下げてお願いしてみた。 「普段からそうやって素直に接してくれたら、可愛げがあるのにな。よろしくやってやるよ。はい、握手!」  目の前に差し出された大きな右手を、恐るおそる右手で握る。 (やっぱ男の人の手って、大きいなぁ。現金掴み取りをやったら、たくさん取れそうだ) 「安藤、なんて顔してるんだ。僕の手を握って、もしかしてドキドキしちゃったとか?」  勘違いも甚だしい。誰が三木先生相手に、ドキドキなんてするもんか。 「すみません。三木先生ごときに、ドキドキしません」  きっぱりと言いきった私に、三木先生はテーブルの上でコケたふりをした。 「おまえな……。これから恋愛小説を書いていくんだろ? ドキドキとかキュンキュンは、間違いなく大事な要素だぞ」 「三木先生相手に、ドキドキやキュンキュンは絶対に無理です」  含み笑いしながら言うと、苦虫を噛み潰したような顔をする。 「可愛い顔して、言うこと酷いよな。友達にも、そんな態度なのか?」 「そんなこと言わない。三木先生の顔を見てると、思ったことがつい口に出ちゃって」 「じゃあ、さっき言ってたNHKってなんだ? ナチュラルでハイスペックにカッコイイの略か?」 「ぶぶっ!!」  三木先生ってば、どうしてこんなにポジティブでいられるんだろう。自分の顔を、ちゃんと鏡で見ていないんだろうな。あ、メガネをかけないで見てるのかもしれない。 「涙を流して笑うほど、僕が可笑しなことを言ったか? 何の略か、教えろよ」 「……なんか、本格的にキモいの略です」  渋々教えるとなぜか顎に手を当てて、ううーんと唸る。 「語呂合わせにしちゃ、ちょっと曖昧だよな。いっそのこと、なまらにしてみたらどうだ?」 「なまら? なにそれ」 「元は新潟弁なんだが、それが北海道に渡って来たらしい。すごいとか、とてもっていう意味だ。ちなみに強調系は、なんまら。どうだ、しっくりくるだろ」  ちょっと待って。三木先生ってば本格的にキモいことを、自ら強調しちゃってるよ。 「方言はなー、奥が深いんだぞ。調べていくと、発祥の地があってだな――」  しかも自分で自虐してるのを、まったく気がついてない! 授業同様、抜けすぎてるでしょ。  私はどうにも堪らなくなって、両手でテーブルを叩きながら、肩を揺すってさらに大笑いしてしまった。 「あー? なにが可笑しい? 変なこと言ったか」 「いや、なんでもない。三木先生って黙っていても、面白い顔してるなって」 「おまえなー、明らかに僕をバカにしてるだろ。さっきから、コロコロと態度を豹変させて。ちょっと、さっきのノート貸してみろ」  差し出した手に、ノートを渡した。ぱらりと表紙をめくり、そこに書いてあるタイトルと私の名前を、顎を引きながらじっと眺める。 「ペンネームは、奈美っていう本名でいくのか」 「改めて名前考えるの、面倒くさいから」 「じゃあ、こんなのはどうだ?」  背広の胸ポケットに差していた万年筆を取り出し、空いてるスペースに綺麗な文字で名前を書いてくれた。 「虹美、こうみ?」 「いや、ななみって呼ぶ。コロコロと態度が七変化する安藤に、まさしくピッタリだろ。それとも、こっちの方がいいか」  今度は七七七と書き込んだ。それを覗き込む私の顔を見ながら、意地の悪い微笑みを口元に浮かべる。 「ちょっとなにこれ、七が三つでななみって呼ぶ気でしょ。ギャンブラーみたいな名前、勝手につけないでよ」 「じゃあ、名字をつけてやる。カメレオン奈美、すっごく格好いいだろ」 「三木先生、ワザと私を怒らせて楽しんでるでしょ!」 「おまえが僕の顔を見て、ずっと笑うからだろ。先生に向かって失礼すぎるんだ、崇め奉れ!」  ノートを閉じて、ぱしっと私の頭を叩く。 「安藤がペンネーム考えるのが面倒くさいって言ったから、わざわざ考えてやったのに、文句しか言わねーもんな。ムカついたから、今日はここまで」 「ええーっ、その中に書かれてる赤と青の枠の意味、どうしても知りたいんだけど」 「その意味を知る前に、今から渡す本、読んでおけ。ノートはもう一度読み直したいから、預からせてもらう」  そう言ってノートを小脇に抱えながら本棚の前に立った、三木先生の横に並んでみる。  私より頭一個分と少しだけ背の高い三木先生は、真剣に本の背表紙を視線で追っていきながら、迷うことなく何冊か抜き取っていった。  セレクトされた物は全然知らないタイトルばかりで、その難しそうな感じにこっそり辟易しながら、簡単に読めそうなものがないかなぁとその場に屈み、整然と並べられた本棚をじーっと覗きみる。  その中で一冊だけ、なぜか逆さまに立て掛けられている本を発見した。他の本はちゃんと並べられているのに、どうしてだろうと思って手に取ってみる。 「なんだ、おまえ。そんな本が読みたくなったのか?」 「え? あ、うん。急に読みたくなっちゃった」 「しかしなぜ『古事記』なんだ。相変わらず考えてること、さっぱりわからねーな」  三木先生は肩をすくめると、私の両手にセレクトした分厚い本を、ドサッと6冊も渡した。 「急いで読まなくていい。じっくり読んでみろ。頭で考えるんじゃなく、心の目で読むんだ」 「心の目?」  告げられた言葉の意味がわからず、小首を傾げてしまった。 「おまえは頭の中で、人を好きになるか? 大好きな彼を見つけました。その瞬間、胸がドキドキって感じるだろ。頭がドキドキしたら、間違いなく血管がブチ切れてる状態だろうな」 「三木先生の比喩、いろんな意味で絶妙ですね、ははは……」  苦笑いすると、バカにするなという顔をしながら、ぎろりと睨みを利かせる。 「本の文字もそうだが、目にする文字すべてを、心の目で捉えろ。どうしてこのポスターはこういうキャッチフレーズなんだろうとか、三面記事の見出しとか、いろいろ心に響くものが結構あるもんだぞ」 「そんなものにいちいち反応していたら、すっごく疲れちゃいそう」  うんざり気味で言うと、そんなことないよと柔らかく笑って、私の頭を撫でる。 「感受性豊かな年頃だからこそ、いろんなものに対して感じてほしいんだ。そうして文章に真正面から向き合ってくれると、こっちとしても教え甲斐があるってことさ。さてと送ってやるから、帰り支度をしろ。忘れ物をするなよー」  せかされるように指示されたので、慌ててカバンに本を詰め込んだ。 (――うわっ、かなり重い)  両手でよいしょと持ち上げた瞬間、さっと横から奪われてしまった。 「家の前まで、持って行ってやる。重たくさせたのは、僕の責任だからな」 「ありがとぅ……ございます。三木先生」  普段は見ることのないスマートな態度に、どんな顔していいかわからず、たどたどしくお礼を言うしかできなかった。  やっぱ男の人なんだな、ちょっとだけ嬉しいかも。なんてこっそり考えていると。 「どーいたしまして、カメレオン奈美」  したり笑いをして告げられたセリフに、眉根をしかめて不快感を露わにしてやった。やっぱり嫌なヤツだよNHK!   前を行く三木先生の背中を無言で思いっきり叩いて、気分を晴らしたのだった。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

135人が本棚に入れています
本棚に追加