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「ごめんね、ごめんね、樹くん。落ち着いて、話を聞いて!」
ぴたっと動きを止めた樹は、ほんの少し、ヒナにそっと身体を預けた。甘えるような仕草ですり寄ってきた。
けれど、彼の温もりはすぐに離れてしまう。
「……なにを謝るの? これ以上、なんの話を聞けって言うの?」
耳に届いたのは、感情の消えた冷たい声。
今までこんな冷淡な声を、凍えるような視線を、ヒナは向けられたことが無かった。
彼の隣で、その凍える声を、視線を、目の当たりにしたことはある。
でも、向けられた対象は自分以外の他者だったから、胸に風穴があいたような、心が痛んで泣きたくなるような、そんな気持ちを自分が味わうことになるとは思いもしなかった。
……そんな気持ち、知りたくもなかった。
樹に嫌われてしまうと考えただけで、切なさと哀しさに涙が止まらなくなる。
樹は口の中で小さく、「……ちくしょっ」と吐き捨てるように何度も呟いた。
俯いた彼の双眸からは、ヒナと同じく涙が頬を伝い、はらはらとこぼれ落ちてゆく。
足元のコンクリートの地面には、黒い跡が点々と刻まれていた。
「……もういい。もう、なにも聞きたくない」
生気の感じられない樹の茫洋とした空虚な眸がヒナを捉える。
刹那、交わった彼の眸に浮かんだ色は、焦がれるほどの渇望と凍えるような絶望だった。
隠しきれない想いをこれ以上知られたくないとばかりに視線を落とすと、樹は無言でヒナに背を向けた。
「イヤだ、待って……待って、樹くん!!」
ヒナの制止の声に背を向けたまま、樹はその場から走り去ってしまった。
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