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非常階段を降り、ヒナはエレベーターホールから高層階行きのエレベーターに乗り込んだ。
マンションの住人だと証明するカードを差し込み、50階のボタンを押す。
音もなく扉が閉まり、すぅっと身体が宙に浮く心地がする。
扉の上にある階数を示す数字を見つめながら、ヒナは樹のことばかり考えていた。
彼の言う通り、樹とヒナは長い時間共に過ごしてきた。
泣き虫で、弱虫で、頭が悪くて、失敗ばかり繰り返すヒナに、いつも樹は苦笑いを浮かべながらも見捨てないで傍にいてくれた。
ヒナは思う。
きっとヒナのことを一番良く知る人間は、親以外では間違いなく樹だけだろう。
ヒナも樹のことを知っているつもりだったけれど、それは間違いだった。
間違いだとはっきり分かった。
それはひとえに他者からの指摘通り、ヒナに理解力がなく、ものを知らず、鈍感だからだと結論を導き出して、ヒナは自責の念に駆られながら深い溜息を漏らした。
勘違いや誤解は昔から多々あった。
いつもなら、ヒナの気持ちをいち早く察してくれる樹が伝えたい言葉を代弁してくれていた。
言葉にしなくても分かってくれていた。
それは、単に彼が聡いだけでなく、ヒナの心の機微をいつも注意深く見てくれていたからだと、気付かされた。
けれど、今回はそうはいかない。
察しの良い樹にもきっとわからないだろう。
樹に傾き始めたヒナの気持ちなど。
ヒナでさえ今朝まで分からなかったくらいなのだから。
類とのことはちゃんと誤解だと説明しよう。
樹ならば、話したらちゃんと分かってくれる。
そして、樹に言おう。
貴方が好きなのだと。
彼女がいる樹に、フラれる覚悟でちゃんと気持ちを伝えようとヒナは思った。
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