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翌朝、ヒナはいつもよりゆっくりとした足取りで、非常階段を降りてゆく。
階下を見下ろすと、そこには昨日と同じく樹の姿があった。
「あれ、今日は走ってこないんだ」
「うん。樹くんにこれ以上迷惑掛けられないしね」
ちょっとお姉さんっぽく言ってみた。
すると、
「……別に迷惑違うし」
むすっとした顔で、樹はぼそりと呟く。
「昨日お母さんに言われたの。もうちょっとお姉ちゃんらしく落ち着きなさいって」
「ヒナが落ち着く? ムリでしょ、そんなの」
あり得ないとばかりに手を振って否定する樹に、ヒナはムッと顔を顰めた。
「なんで?」
「だってヒナ、興味あるもの見つけたら見境なく突っ走るし、ハムスターが滑車くるくる回してるみたいに落ち着きないでしょ」
……ハムスターって。
その比喩はわかりやすいけど、腹が立つ。
「……私、そんなにヒドいかな?」
「たいがいだと思う」
おずおずと不安に駆られつつ聞いてみたら、けんもほろろ、ばっさり切り捨てられてしまった。
ヒナは泣きそうになりながら、溜息をつく。
「だね……もう17歳だもんね。がんばってお姉ちゃんらしくしないとダメだよね」
「イヤ、だからヒナはそのままがいいんだって」
樹の言葉に、ヒナは、あっと声を上げた。
「同じこと言った! 美術の河居先生もね、樹くんと同じこと言ったんだ。さんざん落ちつきないとか貶しておいて、そのままでいいなんて」
ヒナはその時の様子を思い出して、クスクス楽しそうに唇を綻ばせる。
彼女の言葉に樹の表情がすぅっと凍り付いた。
「……なに? 河居センセって初等部にもくる美術教師のこと? あのムサイ無精ヒゲ男?」
「うん。美術部の顧問の先生なんだ」
「……ヒナはソイツのこと好きなの?」
「うん、大好き! スゴい絵描くんだよ」
何の迷いも衒(てら)いもなく満面の笑みで答えるヒナに、樹の双眸が険しく眇められる。
「ふうん。そーなんだ」
樹の足がピタリと止まる。
先を行くヒナの背を、樹はただ無言でじっと見つめていた。
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