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『樹くん?』
鈴を転がした、そんな表現がピッタリくるような少女の声。
「悪いな、遅くに。杏璃(あんり)、お前に頼みあんだけど。この前言ってたヤツ、ボクのアドレスにすぐデータ送ってくれない?」
ちらとヒナを窺いながら、カチカチとパソコンのキーを触る。
『でも、そんなことしたら、柊ちゃん……河居センセが……』
「大丈夫。お前もこのまま停滞したままじゃイヤなんだろーが」
不安げな声に、畳みかけるようにして樹は諭す。
『……う、うん』
「早くしないと奪われるぞ。あのオンナ、河居の元カノに」
『それはイヤッ。でも、大切な切り札なんだから、絶対公にしちゃダメだよ? 元カノに見せて諦めさせるだけだからね?』
「分かってるって。今から送って。――――すぐだ」
『わかった。でも、河居センセ傷つけたら……あたし、怒るからね?』
「ふふっ。悪いようにはしないよ? あんな汚らしいヒゲ野郎、杏璃にのしつけてくれてやる」
むしろ、杏璃とふたりどっかに行ってしまえ。樹は真剣に願う。
『ヒドッ! あたしの王子様なのに! ってか、相変わらずだね、樹くんは。ちょっと待ってね。――――はい、送信完了。言われてたメルアドにデータを送信したよ。届いてない?』
自分の暗証番号を入力し、メールボックスを開く。
送られてきたデータを見て、樹の顔に会心の笑みが浮かんだ。
「ありがと、杏璃。愛してるよ」
おかしくて堪らない。
――――これでヒナを惑わす害虫を排除できる。
声を立てて嗤いそうになり、グッと堪える。肩がふるふると小刻みに震えていた。
『うわっ、気持ちワル。樹くんにそんなこと言われたら、なんかナイフ突きつけられて脅迫されてるみたいに聞こえるよ』
心底嫌そうな杏璃の声に、今度こそ笑いが漏れてしまった。
「ふ、ははっ、わかってるねえ。ホント、杏璃の方がヒナよりずっと大人だよ」
食い入るように画面を見つめながら、これから成すべきことを頭の中で組み立ててゆく。
そして、最後にカチッとエンターキーを押した。
――――コンプリート。これで終わった。ほんの刹那な、ヒナの恋は。
「アリガト、杏璃」
単調な声で心のこもらない礼を言うと、樹は携帯を電源ごとプツリと落とした。
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