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口実がなければ顔を合わせることすらままならない恋心を、僕はどうして捨てることができないんだろう――カウンター越しの男は、睫毛を悩ましげに伏せながら溜め息のように漏らした。
「落ちた台詞のわりには食欲旺盛ですね」
あたしは呆れ返りながら返事をする。
眉目秀麗な男が、憂いのある表情で店頭に設置されたささやかなベンチに座り、テーブルの上の幕の内弁当を美しい所作で食べる様子は、営業妨害なんだか新規顧客獲得の為のパンダなのか……考えるのはとうに諦めた。長い足を公道まで伸ばして通行人に迷惑をかけさえしなければもうそれでいい。
「あっ、また敬語使ったね。ここは第二の家だと勘違いさせてって、約束したでしょう」
さっきまでの態度はなんだったのか、男は猛抗議をしてくる。長く、男性らしい骨ばった右手の小指を曲げ伸ばししているのは、仕方なしにした約束を思い出させようとしているのか……。
九月の、夜は少しばかり風の温度が下がったとはいえ暑苦しいこの時期に、更に肌にまとわりつくようなことばかり男は嘆く。
確か、昨日は同僚教師の愚痴だったけど、それはすでに消化されてるみたいだし。なら、今日の恋の憂いもふいに漏らした戯れ言なのかもしれい。お給料日だから奮発だと電話予約してきた幕の内弁当もすっかり空だし。
「前から思ってたけど、第二っていうのは順位上すぎやしない?お客様」
問いかけはリクエスト通り砕けた言葉で。苛めるように『お客様』と添えて。
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