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「鎌田先生、高熱なので歩いて帰らせるのは心配ですので、タクシー呼びますので私が彼女の家まで送ります。彼も一緒に同行してもらいます」
彼の顔は見ずに、鎌田先生だけを見て全身に力をこめてはっきりと言った。
私が同行するのは、彼といたいからではない。
これは、養護教諭としての判断だ。
タクシーの中。
私は助手席に、彼と彼女は後部座席に乗った。
「大丈夫か?」
「紗耶香、平気か?」
「あと少しで家だから頑張れよ」
彼が彼女を心配する声が、幾度となく背後から聞こえてくる。
こんな時に非常識だけど、こんなにも彼に心配をしてもらえる彼女が羨ましく思えた。
養護教諭だからと、私の判断で同行したというのに、彼の彼女を心配する声が背後から聞こえてくるたびに耳を塞ぎたくなる。
一か月前まで、あの声は私にも向けられていた。
それが今では、話すことも、触れることも、隣にいることも出来ない。
彼の隣には、彼女がいるから。
私は知らぬ間に、膝の上に置いた鞄を強く握りしめていた。
それに気づいた私は、小さく鼻から溜息をついて手の力を緩めると、座席に深く凭れかかり車窓の先に目をやった。
空には、重く垂れ込めた雲の割れ目から茜色の夕焼けが滲んでいた。
やけに夕焼けが滲んで見えたのは、私の視界がぼやけていたからだろうか。
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