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いつもと変わらぬ朝。
綺麗な青空。
でももうこの江戸に彼らはいないのだと知っていた。
「椎、ちょっとお願いできる?」
あまり私にお使いをたのまない直人さんが私にたのむ。場所は徒歩だと二刻はかかる江戸の端。明らかに何かあると思ったが私は普段通りに引き受けた。私には分からない彼らには彼らの事情がある。
「ちょっとそこの兄さん、よってかない?」
島原近くの茶屋で呼び止められたり、格子から手招きされたりして初めて自分は男として美形であることを実感する。
「裏切れない相手がいるので」
と返す自分が本当に欲しているのは誰なのだろうか。
傾く幕府。忍び寄る影。各地の内乱。力をつけた藩。決別した篤史。黒船。試衛館。はじめての浪士組。私に隠しごとをする彼ら。
「独りぼっちみたい」
呟きはいつのまにか確信になっていた。
「よぅ来たなぁ」
お使いの先は立派な屋敷だった。主はもちろん武士。そんな話聞いていない。騙された気が強まる。
「いぇ、使いですので」
そう言った私の頭をふいにその人は撫でた。遠慮がちに撫でられた感触から彼の目がもうほとんど見えないことが分かった。
「ワシは柳下北斎じゃ。これも何かの縁、よろしくな……雑賀原の次男坊」
そういうことか。私は使いとしてでなく雑賀原の、隼人さんの代わりとして来たのである。
その後、当たり障りのない話をいくらかして私は帰路についた。北斎さんは輿を用意すると言ったがあえて断り歩く。
もう夕暮れだった。
「椎華、後で話があるから…」
帰ってくるなり予想していた言葉を私は無感情に聞いていた。とりあえず夕食の支度をして着替えて灯籠に油を注いでおいてから直人さんの部屋へ行った。直人さんの部屋には師範代三人もいた。
直人さんが口火を切る。
「この国を――日本を出ようと思う」
え?
「来週中には出発するつもりだ」
え??
「もう向こうの、英国の知人とは話をつけてきた」
え???
あまりの展開に思考が追い付かない。つまり、来週には、私達、故国を捨て、英国へ行くの!?
無感情な私もこのときばかりは慌てる。
「私も、ですか…?」
当たり前のことを口にする。しかし、
「いや、お前自身の希望に任せる」
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