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私は初めての夜歩きをしている。隼人さんたちのいる家だと考えがまとまらないからだ。とはいえ、もう人のいない刻を一人で歩くのは無用心だし不信に思われる。このまま歩いていたら迷惑をかけてしまう。私はちょうど橋の近くまで来たので川辺に座ることにした。しんしんと寒さが身に凍みる。宵にはまだ早い空には皿のような月が浮かんでいた。風が心地よく流れていく。
―…‥
「お前の気持ちを尊重しておきたい」
隼人さんが言うにはもし私が日本に残ると言ったときは今日訪ねた柳下の家に奉公に出るという形で引き取ってもらうらしい。確かに北斎さんは目が見えないしご老体。私が女だとはまずばれないしばれたとしても何もできないし、しないだろう。
しかしそんな気づかいをするならばもっと前から話してほしかった。私の知らないところで私に関係があること、しかもかなり重大なことが話されていたなんて悲しい。
ふと風が止んだのに気付く。
「誰?」
座る私の背後に何者かの気配がする。
「誰ですか?」
人のようで人ではない異様な気配に私は振り向くことができない。いつのまにか雲に隠れた月の円が赤く濁っている。
<汝は何者か>
空気を震わせて聞こえた声が妙にくぐもっていた。
「人に名前を聞くときは自分から名乗るものではないのですか」
返す自分の声が震えている。もしかしたら幽霊かもしれないし、鬼かもしれない。結構現実主義の私がそう思うほどそれは異様かつ面妖だった。何故か頭が痛い。
<我、>
<汝をミる者>
見る
観る
視る
診る
看る
監る
探る
咎る
<汝は何者か。なにゆえ世界を変える>
「私は………」
意識が遠くなる。
私は雑賀原椎華。
でも本当に?
<―――わしいか、覚えておこう>意識が飛ぶ直前に彼が言ったのは違う名字の私の名前だった。
目を覚ますともう朝だった。川辺の蔓草が私を包むように生えている。そのせいか、冬だというのに寒くはなかった。
「なんだったんだろう」
昨夜の異常な事態の後、無事でいる自分が不思議だ。
ちゃり、
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