一、旅立ち

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太い木の幹に腰掛けたクリスティンから少し離れて、少女が座った。煤で汚れたその顔は、初めて会った時と変わらず美しかった。急がなければならないと気が急く一方で、一度座ってしまった疲れた体は、意志まで味方にして、クリスティンを穏やかな昼下がりの木の下に留めようとする。穏やかに吹く風は、少し焦げ臭い臭いが遠く王都から運ばれてくる以外は、クリスティンがこの3年で慣れ親しんだ王都周辺のクリウス地方の春だった。風に草木がさざめき、早咲きの花が少し窮屈そうに、しかし、誇らしげに咲いている。農民の話では、今年も豊作らしい。そういえば、故郷を一人旅立ったあの年も豊作の年だった、と光る波のようにさんざめく草花を眺めながらクリスティンは思い出していた。少し重たくなってきた瞼が、睡眠を要求していた。心地よい風に髪を撫でられ、地面に投げ出した手足を、まだ冬の名残の残った風が適度に冷やしていく。背の高い草が、指先をくすぐる心地よさにクリスティンは身を委ねながら、旅立ちの日を思い出していた。 それは、3年前の、例年よりも早く春の訪れたある日の事だ。 今年は、沢山の収穫が期待できそうですよ、と言いながらクリスティンを送り出してくれた農夫がくれた干した果実を齧りながら、クリスティンは、父アールデルト?ブラウの治めるブラウ領を後にした。そこは、ブラウ領と隣のカーサス領の境にあるトロンという村だった。 トロンの村を巡りブラウ領とカーサス領は、長い間小競り合いを続けてきた。過去には、ザサイラム王自らが仲裁に乗り出した事もある程で、ザサイラム王国の東の端、隣国のコルムルとの国境に位置するブラウ、カーサスはザサイラムの抱える大きな課題でもあった。 しかし、ブラウ領にクリスティンが生まれ、カーサス領にクリスティンより5つも下のサーシャという女子が生まれた事で、この問題はどうにか片が付きそうになった。サーシャはブラウ領に嫁入りし、ブラウ領とカーサス領の間に協力関係を築く。 その上でトロンの村は取り敢えずはブラウ領の管轄という事で棚上げする。ザサイラム王直々のその通達に、母は卑しいカーサスの娘など、と憤り、父はトロンは、長い間ブラウの領地でありそれは変わることは無いのだ、とやはり憤り、クリスティンはクリスティンで5つも下の娘と夫婦になる事が想像できず、困惑を覚えた。
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