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1.春次郎と志乃(一)
柔らかな日差しの中を、はらはらと桜の花弁が舞っている。
木村春次郎は大川沿いを万年橋の方角に向かって歩いていた。すぐ後ろには高岡家の息女志乃が付いて来ている。
川岸の土手には菜の花が咲き乱れていて、その上をつがいの紋白蝶が飛んでいた。
朝晩にはまだ冷たい風も吹くが、それももう後半月程のことであろう。
「これでようやく私も一人前の剣客になれたような気がします」
春次郎は上機嫌でそう言うと後ろを振り向いた。
四年前から通っている榊道場で、今日やっと目録の認可を貰ったのだ。
「おめでとうございます。でもまだ皆伝ではないのでしょう?」
志乃は悪戯っぽい笑みを浮かべながら答えた。
一応祝福しながらも、ちょっと意地の悪いことを言う。
目録ではまだ半人前で、皆伝を貰って晴れて一人前ではないのか?
そういう意味が含まれている。
「でもね志乃さん、榊道場の目録はちょっと違うのです。他の道場の皆伝と同じくらい価値が有るのですよ」
春次郎の言い訳を志乃はにこにこしながら聞いている。
笑うと目が糸のように細くなる女性であった。
道場の仲間は志乃の容姿を十人並みと言うが、春次郎はそうは思わない。
(こんな可愛らしい人はいない)
志乃の笑顔を見るたびに春次郎はそう思うのだ。
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