8.十兵衛と平九郎(一)

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「防具は要らないよ。動き難そうだ」  十兵衛、そう言ってにやりと笑う。  態度も言動もふてぶてしい。 「田舎剣術は江戸では通用せん。痛い思いをするぞ?」  藤森も負けてはいない。  両者の間には既に険悪な空気が流れ出している。 「ちぇっ、痛くない稽古なんて今までやったことはねぇよ」  十兵衛はそう言うと藤森に正対し、正眼に構えた。  藤森も同じく正眼。  数瞬睨み合った後、十兵衛が一気に踏み込み藤森の面に竹刀を振り下ろした。  電光石火の面打ちを一寸でかわし、藤森が十兵衛の篭手を打つ。  ばちんと言う小気味よい音がして十兵衛の手から竹刀が落ちた。 「痛っ、痛てぇ!」  十兵衛が右の手首を左手で押さえて子供のように喚く。素篭手を思い切り打たれれば竹刀でも相当に痛い。 「これでわかったであろう。ここは信濃の田舎道場とは違うのだ」  藤森が勝ち誇ったように言うと、十兵衛の目がぎらぎらと光りだした。 「三本勝負だろ? まだ一本取られただけさ」  勝手に三本勝負にされて、藤森が思わず苦笑する。 「ふっ、負けん気の強い奴だ。もう一本やってやるから意地を張らずに防具を付けろ」  言われて十兵衛、先刻竹刀を借りた門弟の前に行く。 「面と篭手を貸してくれ。胴は要らん、動きが鈍る」  防具を付け終わった十兵衛が再び正眼に構える。  今度は不用意に飛び込まない。  左足を半歩前に出し、竹刀の先端を上下に小さく揺らしている。 「どうした? 来ないのか?」  藤森が挑発するように言う。  その言葉に釣られるように、十兵衛が一歩前に出る。  面打ちをしようとして十兵衛が竹刀を振り上げた刹那、凄まじい速さで藤森が動いた。  ガラ空きになった十兵衛の右胴に、真横から竹刀を叩きつける。  が、十兵衛は藤森の動きを予期していたかのように巧みに竹刀を掻い潜り、右前方に転がった。転がりざまに、藤森の左脛を竹刀で思い切りひっぱたく。  ばしーんという派手な音がして、藤森が前につんのめるように倒れこんだ。
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