希 望

1/30
前へ
/260ページ
次へ

希 望

2003年 5月29日 院内の三階、休憩室。 丁度六時を回った頃、神戸は一人そこに座っていた。 例の『セブンズラブ』の書いてある大きな手帳を開き、お祈りをするように両肘を机に置いて手を顔の前で組んでいる。何やら呟いているが、それはたぶんその手帳に書かれている言葉を唱えているのだろう。 彼にとってはそれが聖書代わりであったに違いない。    どうして僕は普通に話せないのだろう?  どうして僕はこんな風なんだろう?  どうして僕はおかしいのだろう?  どうして僕は生まれたのだろう?  どうして僕は生きているのだろう?  どうして僕は葉月ちゃんを救えなかった  どうして僕は‥‥‥  ガチャ‥‥ ドアの開く音がして神戸は手を解き、聖書を、手帳を素早く閉じて右端に置くとそのまま右を見た。 「おはようございます」  白地に赤のボーダーが入った半袖シャツに、カーキーの膝下まで裾を折り曲げたカーゴパンツ、白のハットを被ったその男は佐藤だった。神戸はびくっとして彼から視線を外し、身体を硬直させて正面を見た。 「はっ、やだなー。そんなに怯えないでくださいよー」  佐藤はずかずかと部屋に入り、神戸のすぐ左隣に座った。 「はぁー、暑くないですか?ここ‥‥‥」  もうすぐ六月だというのに、まだ長袖シャツの神戸に一度目をやった。その視線を感じて神戸は背筋を少し伸ばして、左腕を押さえるようにしてから返した。 「いえ‥‥‥僕は大丈夫です‥‥」  おどおどした様子で、左の佐藤を一瞬見て正面の机に視線を戻した。 「やだなー。僕怖くないですよ?」 「はぁ‥‥‥」  それでも神戸は佐藤の方をチラッとしか見ない。 「昨日はすみませんでした。あの後、主任とかが神戸先生を捜していたみたいですけど?」 「‥‥‥はい。見つかりました」 「‥‥‥何が?」 「‥‥‥僕が」  佐藤は少し笑って話を続けた。 「あの後、大丈夫でした?」  神戸は目をキョロキョロ動かしながら、佐藤の様子を窺った。 「‥‥いえ‥‥駄目でした」 「ダメ?何が?」 「‥‥‥僕が」 「ああ、本当にすみませんでした。僕が言い過ぎました」  動く佐藤に神戸はまたびくっとして隣を見た。彼は深く、こちらに向かって頭を下げている。神戸はそれに驚いて目を見開いた。
/260ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加