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「お帰り、神戸先生」
もう一人は女性で、ひょろっとした男性の方に握手を求めた。
「僕はもう‥‥これで良かったなんて‥‥‥」
黒いスーツ姿の細い男性は小さい声でごにょごにょと呟いていて、菜乃香までは何を言っているのか聞き取れなかった。
それよりもトイレを思い出し、もう一度彼らをチラッと見ると勇気を出してトイレに足を踏み入れた。
病院に慣れてきたというのに、相変わらずトイレだけは苦手だった。じめっとした空気が漂って、ドアを閉めたらもう二度と開かないんじゃないかとか、ドアの上から下から白い手がニュッと出てくるんじゃないかとか。
手を洗ってトイレの外に出た時には先程の人影は見当たらなかった。とりあえずは無事にトイレを脱出した喜びとスッキリ感に、軽い足取りで菜乃香は戻った。
プレイルームに戻る途中の向かい側の休憩室に、母親の姿が見えて菜乃香は立ち止まった。声をかけようとしたが誰かと話している。
「こんな時期にあれですけど、牧野さん知ってます?心臓手術でミスをして、女の子を死なせた医師の裁判‥‥」
「ええ。うちの子も来週手術なので、気にはなっていましたけど」
二人は菜乃香に背中を向けた状態で、窓の外を見るように立っている。
時折見える横顔と声から優子に間違いはないが、同じ部屋にいる患者の母親と話しているようで菜乃香には気付いていない。
「あの神戸って人、ここの病院の医師でしょ?無罪って聞いてまた戻って来るんじゃないかって不安になっちゃって」
「でも、無罪だったわけでしょう?」
平然とした顔でそう話す優子を見て、左隣の女性は優子の耳に顔を近付けた。
「大きい声じゃ言えないけど、ここでは有名よ。変わってる医者だって‥‥‥あの神戸って人、おかしな言動が前から問題になっていて、手術ミスだって‥‥‥それを明るみにさせないように、病院ぐるみで隠蔽しようとしてるんじゃないかって話‥‥」
「はあ‥‥‥そうなんですか?」
ここの病院の事を詳しく知らない優子は返事に困った。
「事故と偽って、患者を死なせたに違いないわ。牧野さんも気をつけた方がいいですよ、神戸って人‥‥‥」
「そんな‥‥‥すぐには復帰しないでしょう?」
優子は少し驚いただけで、すぐ笑って済ませる。その優子の顔を見た後、菜乃香は声もかけずにプレイルームに戻った。
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