7月 やまない雨はない、とか

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今日は仕事はそんなに忙しくなかったらしい。 それでもなるべく夜遅くまでの残業を避けたい母は、暇な時でも大抵少しだけ残って雑務をやっつけてから帰ってくる。 定時は5時だけど、大抵6時くらいまでは働いてくる。 普段からそうしておかないと、急に忙しくなった時に通常作業に手が回らなくなって帰りが遅くなるらしい。 母は言わないけど、気にしているのは私の夕食のことだ。 帰りが遅くなると店も閉まってしまい、買い物も出来ない。 冷凍ものとかインスタントで誤魔化すしかないのだけど、母はそれが本当に嫌なのだ。 別にそこまで気にされなくても、簡単な料理くらい私だって出来るのに。 小さい頃から仕事で留守がちだった母は、刃物や火があるキッチンへ私が侵入するのを頑なに禁じてきた。 台所のことは何も教えて来ていない――だから莉緒には出来るわけがないと、母は未だに思っているのだ。 母は今日もいつも通り、定時を迎えた後、少しの休憩を挟んでまた仕事に戻るつもりだった。 5時であがっていくパートさんが帰り際に個包装されたクッキーをくれたので、せっかくだからコーヒーでも飲んでひと息いれようかと思い席を立った。 休憩室に行くとどうしてものんびりしてしまう。 給湯室のコーヒーサーバーを前に、少し迷った。 ここで急いでクッキーをかじって、コーヒーだけ入れたらすぐにデスクに戻ろうか。 特別身体や脳が休憩を必要としているわけでもない。 パートさんと一言二言交わし、こうして席を立っただけでも十分気分転換は出来た。 だったらクッキーは開けずに持って帰って、コーヒーも諦めてこのまま仕事を続けようか。 母の手が止まった空白の時間は、多分ほんの一瞬だった。 その、母の定時直後を狙い澄ましたようなタイミングで。 「電話が来たの、携帯に……お父さんから」
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