僕は妹にあなたの兄だと伝えたい

2/23
前へ
/23ページ
次へ
一九九五年、一月一七日。その日、僕は最愛の妹、楓(かえで)と生き別れになった。 阪神・淡路大震災。そう名称された忘れる事の出来ない大地震が、僕のたった一人の妹と父を飲み込んだ。 当時、僕と僕の家族は兵庫県南部の古い一軒家に住んでいた。 その地震が僕と僕の家族を襲ったのは、早朝の五時頃だった。 家族全員、毎日、朝の七時頃に起床していた為、早朝五時頃に起こった小さな揺れを感じる事無く、寝静まっていた。父の言う事を聞かず深夜テレビを見耽っていた僕と、昨夜早く寝て目覚めた母は、その微かな揺れに気付いていたが、特に気に留める事はなかった。 そして、その数分後。突然、家全体が異常に揺れだした。 不安、絶望、恐怖、全てが一瞬に重く圧し掛かった。 母は急いでガス栓を閉めた。同室にいた僕は涙を堪え、何も出来ずに、ただその場で立ち尽くすばかりだった。 地震は止まない。 家の天井には、ほこりが舞い、亀裂が入る。扉は開かない。父と妹の部屋の扉も開かず、扉の中から声がしない。仕方なく母は窓ガラスを破り、僕を抱きかかえ、家を飛び出した。 そこで僕の視界は途切れた。 気づいた時には、地震は止んでいた。 目の前には、倒壊した僕と僕の家族の家があった。 僕を抱きかかえ続ける母は瞳に小さな水溜りを作っていた。その水溜りは何度も僕の服を染み付かせる。 父の死体が倒壊した家屋から発見されたのは、その一週間後の事だった。しかし、妹の姿は何日経っても発見される事はなかった。 どこかで死んだのか、どこかの家に預けられたのか。それとも、僕と母を探して歩き回っているのか。 妹の行方不明の張り紙は何の意味も無く、ただ時が過ぎて行った。
/23ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加