第〇話

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 生きている、と、死んでいない、は、必ずしもイコールで結ばれない。なぜなら、その二つの中間に、死んだように生きている、という状態が存在するからだ。たとえば、今夜、一握りの睡眠を得るためだけに大衆居酒屋の片隅で安い焼酎を胃に流し込んでいる、今の俺だ。 「おかわり」  からになったグラスをカウンターに上げる。店員は無言でグラスを取り上げる。元気の押し売りがないところがこの店を選んだ唯一の理由だ。  焼酎のおかわりがカウンターに置かれる。たばこをにじり消し、グラスを取り上げて口をつける。見た目から想像もつかない味だよな、と、ここのところ、初めて口にしたかのように毎晩思う。この唐突な味のせいで、人との関わりを絶っているくせに、ひとりきりの部屋では飲めない。どうしても飲めない。  自分は孤独ではなかったのだと、孤独になってみて俺は初めて知った。  考えるのはもうやめだ。考えれば考えるだけ眠気は遠ざかり、酒量が増える。グラスの焼酎を一気に飲み干す。 「おかわり」  カウンターに上げたグラスを横からかっさわれた。なんだ、と見上げると男が俺を見下ろしていた。  その男の第一印象は、黒い、だった。 「良い飲みっぷりだ」男は隣に座った。「奢りたくなる。一番良い酒をふたつ」  肌が黒いわけではない。黒い衣服を着込んでいるわけでもない。むしろ、日本人にしては色白かもしれない肌色に、ライトグレーのスーツ、カッターシャツは淡いブルー、カフスボタンなんか久々に見た。 「奢られる筋合いはないって顔だ。筋合いはある。頼みごとをする時はタダ酒で釣るというのが俺のやり方でな。いいだろう、雪」  ゆるりと俺に向いた瞳がひたすら黒くて、黒すぎて、男の唇からはじき出された俺の名前が、名前以上に白く思えるほど黒かった。
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