砂丘に花が咲くように

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 こうして、俺は彼女と約束した。糠味噌漬けのレポートという、若者が話題に取り上げないような、地味な内容だ。  そして、俺がそのレポートを発表する機会は、ついぞ訪れなかった。  彼女からの連絡が来ない休みを過ごし、登校日がやってきて初めて、彼女が某県の地方都市へ引っ越してしまったことを知った。  高校二年の九月のできごとであった。      *     *     *  三年の月日が流れた。俺は某県の大学に進学した。彼女が引っ越した都市部にいたのだけれど、それは別に彼女を意識してのことではなかった。たまたま、受かった大学が都市部の街にあっただけのことだ。  適当な受験勉強をしたせいで、適当な大学に入ってしまった。そのうえ気のない授業や人間関係をのらりくらりと過ごしているうちに、俺の精神は根本から揺らいだ。気がつけば学校をさぼってパチスロや麻雀に興ずることも週に何度もあった。バイトはしていたけど、お金もどんどん減っていく。ひどい毎日だ。 暮らしていたのは古い商店街沿いのぼろいアパートの一室だった。  その日、俺は深夜に帰宅するとすぐに荷物を投げ捨てて床に転がった。いつものごとく財布の中身をすり減らしていたのでいらいらしていた。 「あーあ、なんかつまんねえな。毎日」  ぼやくことが日課になってしまっている。自分の居場所が、自分のものでない、そんなずれ。  のそのそと身体を動かして、テレビをつけた。見たいものもないが、BGMが欲しかったのである。  数秒画面を眺めた後、室内の一区画に異動した。床に四角い縁取りがされており、取っ手が付いている。床下収納だ。  身をかがめてそれを開くと、真っ白い陶器が出てきた。蓋を開けるとねばねばとした物体が表れる。  糠漬け。  俺はこの趣味をもう三年間続けている。これをいじっていると自然と心が落ち着くのだ。  そもそもこのぼろアパートを選んだのも、自家製の糠漬けを持ちこめるからだ。大家さんが、寛容で、糠漬けにも非常に理解ある人だったから、一室の一区画が糠味噌特有の粘っこい匂いに満たされることを許してくれた。大家さんの料理も漬けることが交換条件だったが、それくらいで感謝の気持ちが薄まることはなかった。
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