嘲宮論理と春の夕暮れ。或いは既知との遭遇。

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嘲宮論理について知っていること。 彼女が同期生だということ。 彼女にはどうやら友達がいないということ。 彼女には嘲宮倫理という双子の妹がいるらしいということ。 それだけだろうか。 東桜大学文学部史学コース環アジア太平洋地域専修。 履修届に1年の時の感覚のまま書こうとしたら、太平洋地域の辺りで、彼は自分の名前を書くスペースが無くなっていたことに気が付いた。無闇矢鱈に長い名前の彼の所属はだから、ということもないのだろうけれど、同学科の人からは非常に不人気なのだった。 現に。 4、50人はいたであろう文学部の同期生のうち、彼と全く同じこの長い名前を履修届に書く面子は、確か5人程度のはずだと彼は記憶している。 その内一人が、嘲宮論理という女性なのだった。 老教師の言葉が右から左へ抜けていく。演壇を起点に扇状へと広がって、そして高くなっていく作りの講義室のちょうど真ん中辺りで彼はシャープペンシルを弄びながら、第一回目の講義からいきなり欠席している彼女のことを考えていた。 それだけだろうか、という言葉はそこから来ている。恙無くいけば恐らくは、大学3年のゼミ選択、大学4年の卒論作成と、協力してことに当たることの多くなると予想される、彼女について彼が知っていることはあまりにも少なかった。 嘲宮論理。考えるだに奇天烈な名前である。 嘲宮という不思議な苗字に、論理という名前とも思えぬ名前。麻宮だったらまだしも有り得そうなものだが、嘲宮である。そしてその下に、論理と来ている。 その厳つい字面と、彼女のその丸みを帯びた女性的なボディーライン、言ってしまえば、男の子的にけしからん安産型は全く以てのミステイク。悪い冗談のように噛み合わないものだった。 しかし。 彼は何人かの頭越しに4時限目も終わりに近い、うっすらと茜の差した空を見る。茜が濃くなり、やがて紫へと移り、そして夜の帳が取って代わる様に思考思索を進展させる。 彼女のパーソナリティ、人となりを考えるに彼は全く別の、正反対の結論を抱くのである。 嘲宮論理という名前は、まるでその本質が名前に基づいて決められた様な、……いや、違う。鶏が先か、卵が先か。 彼女はまるで本質に基づいて名前が定められたような、実際にはそんなこと有り得ないのだけれどもそう錯覚させる様な、そんな不自然な統一感、整合性を名前の裡に見せていたのであった。
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