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蛍光灯のついた青白い廊下に一人佇む彼を見つけた。 空っぽの両手を下げて窓の外を見ている。静かな眼差しは夜空でも明かりのついた住宅街でもなく遥か遠くに向けられていた。 声をかけられずにいると気配に気づいて振り向いた。一色は俺を捉えるなり落胆したようにため息をついた。 「氷泉先生。あんなことがあったばかりなんだから今まで以上に気を配れませんか」 「……悪い」 「本当にわかってるのかな。それで何か用ですか」 「うん……その、」 「手短にお願いしますね。もう帰るところなんで」 はねつけるような口振りは俺が追いかけてきた理由に勘付いているようだった。 俺は黙り込んだ。いざ彼の顔を見てしまうと言葉が出てこなかった。 果たしてこれは正しいことなのだろうか。彼の自尊心を傷つけるだけなのではないか。自己満足に過ぎないのではないか。――迷いがせめぎ合っている。 だがこのまま流しておけないという思いも背中に手をかけていた。 「借りって……嘘なんじゃないか」 一色は何の反応も示さなかった。やはり想定していたとおりだったのだろう。 「借りを返したかったと言ってたけど……本当はそんなんじゃなくて西島のことが、」 何を言うかと思ったら、遮るように彼は言った。 「さっき話したのがすべてですよ。帰ります。バス逃したくないんで」 「一色。本当は借りなんてないんだろ。西島のこと気遣って適当にはぐらかしただけで、」 「しつこいな。何を根拠にそんなこと言うんです」 「そうでなきゃあんなことできない。少なくとも俺は……あんな綿密に考えて動くことなんてしない」 青白い光に照らされた瞳がじっとこちらを見ている。それは苛立ちと不快感をはらんでいた。 「そんなの僕の勝手でしょう。自分の考えを押しつけないでもらえますか。僕は人を観察するのが好きなんですよ。どんな感情を抱いて、どんな行動をとるのか。人の動きに興味があるんです。ただの悪趣味でやったまでです」 「……なら、借りって何なんだ」 「答える義務はありましたか」 俺は口を閉ざした。打ち明けなくてはならない義務なんてない。 「氷泉先生。そこまで言うならお聞きしますけど、仮に僕があなたが欲しい言葉を言ったとしてどうするんです。雪乃先輩を手放すつもりですか」 無言の返事に、ほらね、とおかしそうに彼は口元を歪めた。
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