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部屋に戻ると西島は一色が置いていった知恵の輪をぼんやりと眺めていた。
きっとこれまでのことを振り返り、その時々の一色の姿を照らし合わせては彼の言葉や態度に隠れた真意を探っているのだろう。
静かに扉を閉める。些細な音だったが彼女ははっとしたように顔を起こした。
「……先生」
弾けるように駆け寄ってくる。
あの、と何か言いかけたものの言葉を見失ったように口をつぐむと彼女は長い睫毛を伏せて沈黙した。
俺たちは互いに向き合ったままその場に立ち尽くした。
本当は抱きしめたかった。
きつく抱きしめて髪を撫でて彼女の混乱や感傷を少しでも和らげたかったし、自分も彼女の体温に触れることで安堵したかった。
だけどできなかった。しなかった。
そしてそれは彼女も同じだったのだろう、こらえるような顔をしてネクタイの辺りを見ていた。
室内に目を巡らす。
窓を隠す白いカーテン、電話機の載った事務机、専門書が詰め込まれた本棚、校内放送が流れるスピーカー、授業で行う実験手順が書かれたホワイトボード。
「……西島」
お腹の辺りで行き場を失くしていた彼女の手を握る。
真っ直ぐな瞳に自分の姿が映り込む。きっと俺の瞳にも彼女は自分の姿を映しているだろう。
「ごめん」
「……どうして謝るんですか」
「気づいてあげられなかった。生徒に疑われていたことや、西島が一色から言われていたこと……何もかも気づくことができなかった。一人で背負わせて……本当にごめん」
西島のことを大切にしているつもりだった。周囲の視線や自分の言動には注意を払っていたつもりだった。
だけど俺は何を見ていたのだろう。
振り返れば、彼女は思い詰めた表情することが幾度とあった。寝不足気味と口にしてもいた。受験からくる心労と考えていたがとんだ思い違いだった。
何でもないです、笑顔を浮かべる彼女の姿が瞼をよぎる。
心配をかけさせまいとするその表情の裏ではどんな思いをしていたのか。誰にも相談できずに今日まで一人きりで抱え込んでいたと思うと、彼女への申し訳なさと自分への腹立たしさでいっぱいだった。
「本当にごめん……何も知らないで呑気に俺は」
いいんです、彼女は静かに首を振った。
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