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〇
全身に擦り傷を負って動けないでいる僕を抱きしめると、彼女は「少し待っていて、きっと薬をもらってくるから」と耳元で優しくささやいた。想像通り、川のせせらぎのように澄んだ声だった。
慎ましく膨らんだ胸を押し付けて、彼女は一度僕を強く抱きしめてから、草むらにゆっくりと寝かせた。
彼女は魔女の館に行こうとしている。
そこに住む魔女は、自らのために若返りの薬を研究している。魔女は実験として、百人の若い娘を鍋で煮て殺し、薬の材料にした。しかし実験は失敗した。
失敗したのにも関わらず、魔女は懲りずにもう一度実験をしようとしているらしいのだ。次は千人の若い娘を材料にするつもりだというのが、街ではもっぱらの噂だ。もうすでに、街からは五人の娘がさらわれてしまっている。
なんとしてでも、僕は彼女を止めなくてはならない。薬をもらってくるどころか、薬の材料にされてしまう。僕のために彼女が命を落とすなんて、考えたくもない惨劇だ。
「……無理だ……よ。魔女の……ところ、には……行かない……でくれ、よ」
僕はかすれる声を絞り切って、彼女に手を伸ばした。しかしどんなに伸ばしても、彼女には届かない。
彼女は大きな瞳を潤わせて、首を振った。前髪が白い額の上を跳ねる。
そして彼女は魔女の館のある、鬱蒼とした森の奥深くまで駆けて行ったのだ。
のち、僕は風となった。使えない体を捨てて彼女を追いかけるべく、僕は一陣の風になった。
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