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荊北侵攻:戦雄決意し、中華に動乱起る。集うは、かつての仲間達
『戦雄』呂広
字は子風。愛馬に三日月、欠月、満月。
呂玲を奥方とし、正式に呂布の血筋を継ぐ。
長男に呂河、次男に呂成。
元々は長安の貧しい家で姉弟二人暮らしをしていた。呂広の姉は当時呂布と恋仲にあり、ある事件をきっかけに呂布の養子となり、劉仁に匈奴へ連れて行かれる。
呂という姓、広という名、子風という字はすべて呂布から与えられた。
匈奴で三年間の修行を積み武芸を身につけ、徐州に戻った際は高順、張遼、呂布の元で副将を勤めそれぞれの軍略を身につける。徐州陥落後は光山で雌伏。書物を読み知略、精神力を鍛え、武芸と軍略も熟成させた。
光山を出立するときは精鋭八十騎を率い、李祥と朱信と公傑を連れて河北袁家を頼る。二千騎を与えられ曹操との決戦に臨む。やがて陸遜の誘いを受けて孫権の客将となる。
呂布の血筋を引く者という汚名を克服し、人格を備えもつ。兵や同僚との仲も比較的良い。
蜀では劉備、趙雲、馬超、馬岱、馬謖ら。呉では孫権、周瑜、陸遜、呂蒙、凌統、丁奉ら。魏でも張遼、張コウらと親交があった。
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