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「まさか、葛葉丸に行かせるのではないな?」
小角が言っているのは晃が使役する式神の事だった。葛葉丸は白狐で、何かに化けるのがどこの誰よりも得意な霊狐だった。普段の生活はほぼこの式神に自分の姿に化けてもらって任せている。何か特別な用事の時だけ、手紙を寄越させるようにしているのだが。
「えぇ、まぁ……そのつもりですけど」
「あれは、中々の物好きだ。親睦の場でとんでもない事をしでかすやもしれんぞ」
晃は言い返す事のも億劫で黙り込んでしまった。小角もまた、それ以上は口を出さない。瞑想に神経を集中しているのだろうか。晃がそのまま立ち去ろうと思った時だった。
「なんとも無情な人間もいたものだ」
「え?」
晃は思わず生返事をしてしまってから、気付く。涼しいこの師匠が顔を険しくさせる理由と言えば一つだけではないが、そのどれもに共通している事柄がある。
――非情極まる行為。
山において、人間が取るその行為とは限られてくる。すなわち、人目につかない所で成し遂げたい事。邪魔されたくないからかもしれないし、或いは負い目があるからかもしれない。どの道、この神聖なる場所で許される行為ではなかった。
ただ、晃が立ち上がった理由はそれとは別の所にある。彼にも人並みの心はあるし、非情な行為を見て何かを思うだけの情もある。少なくとも、それを見て面白いとか楽しんだりするまでには落ちぶれてはいない。
しかし、それはさておくにしても彼には願望があった。
――波乱に、底知れないこの世界の闇に己の身を委ねたい。
偽善のぬるま湯に浸かっている連中に目に物を見せてやりたい。それが晃にとっての復讐だった。その世界に足を踏み入れるきっかけを求めていた。
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