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何かの病気ではないかと町一番の町医者が彼女を訪ねた。しかし、彼女の声はとうとう戻る事はなかった。
僕は望んだ。彼女の歌声をもう一度聞きたいと。失わせてしまった彼女の声を戻す為に僕に何かできないだろうかと。
迷う僕は町の古文書を調べ、歌の町ウェールズには女神がいると知った。言い伝えでは対価を差し出せばその対価に見合った望みが叶えられるそうだ。
町の小さな公園の噴水にある女神の像の前で僕はただ祈った。自分の命を差し出しても構わない。だから彼女の声を戻してやって欲しいと。
朝から晩まで一晩中、僕は祈り続けた。僕のせいで失った彼女の声を取り戻す為に。
何も起きぬまま、そして翌日を迎える。対価として命を差し出したが、その命は神に奪われる事は無かった。ちゃんと心臓の鼓動はどくんどくんと動いて生きている事を実感させられる。では、何を対価として奪っていったのか? いや、それともの古文書に掛かれた事はただの言い伝えであっただけなのか…………。
ふと僕は妙な静けさを覚えた。何も聞こえない。世界が硬直してしまったかのように。
目の前で噴き出ている噴水の音、小鳥のさえずり。何もかもが音として僕に耳に入って来ない。
僕はやがてそれが何であるのかに気づく。耳を対価として奪われたのだと。
命をまでは取らず、神は彼女の歌を聞くために大切なただ一つの耳をその対価として奪っていったのだ。
絶望はなかった。これで彼女がいつものように歌えるのならばこれほど良い事は無いと。
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