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野次馬が集まっているなかで這い出していくのは、得策ではないだろう。辛抱強く、待つことにする。
「おっと、なんだろうね、みなさんお集まりで。今日はなにか、催し物でも? ちょうどいい、僕とお酒でも飲みますか。あれ、奥さん、やだなあ、なんで逃げるのかな」
酔っていると自分でいっていたが、どうやら充分にできあがっているらしい。依然として崩れた露天を下敷きにしたままで、男の陽気な声が続く。
「いやあ、なに、もちろん僕の奢りですよ。女性に払わせるなんてとんでもない。お金なら……ああ、店に置いてきたのか。これはまいったなあ」
なにがおもしろいのか、とうとう笑い出す。集まってきていた人々も、相手をするだけ無駄と判断したのだろう、ひそひそ声を残しながら、波が引くように遠ざかっていく。
音が消えてから、たっぷり三十、キルリアーナは数えた。
頃合いだろうというところで、今度こそどいていただこうと、肺に空気を入れる。
「だいじょうぶかい?」
しかし、言葉が舌に乗るよりも早く、身体が軽くなった。布が取り去られる。突然の眩しさに、キルリアーナは目を細める。
身をかがめてこちらをのぞき込んでいるのは、ブロンドの男性だった。緑色の瞳は凛々しく、すらりとした体躯を包むのは一目でそうとわかる上等な衣類だ。
腰には、身なりに不釣り合いな──飾りだとすれば納得の、細剣を携えている。
予想していなかった展開に、キルリアーナの反応は遅れた。
「だい……じょうぶ、だけど」
馬鹿みたいに正直に、答えてしまう。先程までの酔っ払いとはまるで別人だ。まさか演技だったのだろうか。
男はほほえんだ。右手をズボンでぬぐい、ごく自然な所作で差し出す。
「うまくいってよかった。追われていたんだろう? また会ったね、パジェンズの名医。僕は、君を助けたかったんだ」
その手を握る気にはなれなかった。パジェンズという名を知っているというだけで、まずろくなことはない。
キルリアーナは自力で起きあがると、膝を払って立ち上がる。
「オレはあんたに、会った覚えはねえよ」
そう返して、すぐに顔をしかめた。
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