第1章

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劇団潜伏中 次の日、すぐに新聞店の店長に体力の衰えを理由に退職を申し出た。 まじめなだけで、たいして営業力もない源さんの退職は二つ返事で承諾された。 「よし、これで次のステージへ進める。」 源さんは、体中に新しい力を よみがえらせながらつぶやいた。 翌週からさっそく練習が始まった。 今は8月の初め。 学校の2学期が始まる今月の末から仕事が始まるのだ。 それに会わせて演目を仕上げなければならない。 この劇団は、小中学校の鑑賞教室に営業の照準を合わせて活動をしていた。 役者として車で全国を巡業して回りながら、毎週末東京に戻って来たときに電話で全国の小中学校に営業を掛けるのだ。 団長が書いた6つの民話の演目を、1年間場所を代えながら演じてまわる。 今年の演目は『雪女』だった。 練習にはお金がかからないが、最初の巡業が始まるおよそ1ヶ月間は給料がでない。 住む場所がないものや、1ヶ月分の生活費の貯えがないものは就職できない職場だ。 新聞屋と違い、住み込みはできないし、寮もなかった。 源さんは、おんぼろアパートでも自分で部屋を借りていて良かったと思った。 劇団で源さんに割り当てられた役は、主人公の男の父親の伍作という役だった。 舞台に出てすぐに雪女に殺される役だったが、年齢的にちょうどいいと思われて採用されたのかもしれない。 たいした長台詞もなかったので、その週のうちにセリフを暗記して初日の練習にのぞんだ。 出演者は全部で6人だが、役は全部で7つあった。 一人がひとり二役をやらなければならなかった。 雹(ひょう)の役と主人公の佐助の母親役がそうだった。 6人一組で一チームをつくる。 チーム編成は団長の先見事項で、団員の希望は原則受け入れられない。 全部で4チームあり、これが全国をまわるのだ。 それぞれのチームごとにまとめ役の座長がいる。 座長は在籍年数が長い人が選ばれ、巡業中のミーティングや団員の悩み事や団員同士のトラブルの解決にあたる。 巡業に出る前の、団長の最終チェックの入る総仕上げのゲネプロが行われる日が来た。
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