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「遠雷だから、大丈夫。雷雲は山の向こうにあるから、心配しないで。さあ、寝なさい」
アイリスは吐息を軽くもらし、ゆっくりと目を閉じた。
母の白い手が、麝闘の巨体を穏やかに慎重に撫でていく様が、目蓋の裏に思い浮かぶ。じっと麝闘を見つめる、静かな母のまなざしが、アイリスは大好きだった。
母は、麝闘の中でも、常に先陣を駆け抜け、敵陣を食い破っていく役目を担う麝闘の中でも最強の麝闘ーー〈クロウ〉たちのお世話を任されている。
友達のサリーの父や、セバの父だって、〈クロウ〉たちが住む岩房は任せてもらえない。麝闘の世話役である麝闘乗りが、母の獣ノ医術の腕をそれほどに高く買っているのだと思うと、アイリスは何時だって誇らしさで胸がいっぱいになる。
母が麝闘の世話をしに行くときは、母に任されている水汲みや楽しみの縫い物をしていても、いつでも途中でほっぽりだし、必ずくっついていった。母がやるように、麝闘の鱗に触れてみたくてたまらなかったけれど、母は断固としてそれを許さなかった。
ーー麝闘は恐ろしい生き物なの。おまえが近づけば、その気配を感じて鎌首をもたげて、おまえの頭から腹まで噛み裂いて一呑みにしてしまうわ。
岩房の深く暗い溜め池の水面をうねらせて泳ぐ、巨大な蛇を見つめながら、母は淡々とした口調で言った。
ーーおまえは、わたしが麝闘に触れるのを見慣れているからね、つい気楽に考えてしまうだろうけれど、絶対に勘違いしてはいけないよ。
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