第1章

4/6
前へ
/6ページ
次へ
「遠雷だから、大丈夫。雷雲は山の向こうにあるから、心配しないで。さあ、寝なさい」 アイリスは吐息を軽くもらし、ゆっくりと目を閉じた。 母の白い手が、麝闘の巨体を穏やかに慎重に撫でていく様が、目蓋の裏に思い浮かぶ。じっと麝闘を見つめる、静かな母のまなざしが、アイリスは大好きだった。 母は、麝闘の中でも、常に先陣を駆け抜け、敵陣を食い破っていく役目を担う麝闘の中でも最強の麝闘ーー〈クロウ〉たちのお世話を任されている。 友達のサリーの父や、セバの父だって、〈クロウ〉たちが住む岩房は任せてもらえない。麝闘の世話役である麝闘乗りが、母の獣ノ医術の腕をそれほどに高く買っているのだと思うと、アイリスは何時だって誇らしさで胸がいっぱいになる。 母が麝闘の世話をしに行くときは、母に任されている水汲みや楽しみの縫い物をしていても、いつでも途中でほっぽりだし、必ずくっついていった。母がやるように、麝闘の鱗に触れてみたくてたまらなかったけれど、母は断固としてそれを許さなかった。 ーー麝闘は恐ろしい生き物なの。おまえが近づけば、その気配を感じて鎌首をもたげて、おまえの頭から腹まで噛み裂いて一呑みにしてしまうわ。 岩房の深く暗い溜め池の水面をうねらせて泳ぐ、巨大な蛇を見つめながら、母は淡々とした口調で言った。 ーーおまえは、わたしが麝闘に触れるのを見慣れているからね、つい気楽に考えてしまうだろうけれど、絶対に勘違いしてはいけないよ。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加