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わたしは振り向いたけれど、父の姿はもう人混みのなかに消えていた。……ドラマみたいに手を振り続けるとか、改札のなかに入って電車を追いかけるだとかいう派手な行動を期待してもいなかったけど、数秒足らずでその場所から消えたという現実に、一抹の寂しさを感じた。
――現実とは、物語ほどにうまくいかない。
これが、わたしが小説を嫌う理由だ。
わたしが読むのはフロイトなど心理学関係の書籍が主で、みんなが好き好む甘ったるい青春恋愛小説など見向きもしない。
ただし、漫画は例外だ。フィクションと割りきって読める。
――夢をいくら見たとて、現実は変わらないから。
だから、わたしの人生に、妄想も空想も、必要なかった。
――こんな考え方をしているから、特に思春期の頃から、父親と明確に距離が開いたし、結局、その距離を補正することもなく、関係が終了した。
そしてそれを修復する機会は二度と訪れない。
目を閉じても日光の眩しさが迫ってくる。
分かっているけれども、わたしは瞼を下ろした。
* * *
光が、――飛んでくる。虹彩のうず。ちら、ちら、と花火のような光が暗闇のなかを落ちる。
眠ってしまっていたようだ。喉がものすごく乾いた。
瞼を開き、顔を左に傾けた。――強い光を感じる方向。そこには、海が広がっていた。
光を乱反射して煌めく海は、とても綺麗だった。かもめが上空を飛ぶ。声も聞こえる。
「……あら。目が覚めたんね」
母はわたしに気づいたようだ。わたしの目を見て微笑んだ。
「――ほんと、こっからもうすぐやからね」
どうだろな。
と思いつつ、わたしは頬杖をつき、右を眺めた。
――海を綺麗、と思っているのに気づかれるのが、癪だった。
すぐと形容するには微妙な三十分後に、目的地に着いた。
ホームに降り立ったのはわたしたちだけだった。当然だ。乗客は母とわたしの二人だけだったのだから。
乗り込むひともおらず、駅は、数名の駅員を除けば、無人だった。
田舎の駅をテレビで見るたび、経営難が心配になる。
――わたしはそんなことよりも今後の自分の人生を心配すべきなのだが。
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