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「奏、愛の歌だぞ! 何度言ったら分かる!」
――役名ではなく本名を呼ばれたら、それはストップの合図だ。
舞台上に立つ数名が、わざとらしいくらいのため息を吐き出す。
「……すみません」
「お前のそれは聞き飽きた! 一旦下がってろ!」
ああ、ストップどころか、舞台に立つことさえ許されないらしい。
すごすごと舞台を降りる私を嗤う声が、至る所から聞こえてきた。
『奏さん、他は上手いのにね』
『この役、やっぱり彼女には無理だったんじゃないの?』
『ほら、あの人恋愛したことないから』
『え、嘘でしょう!? いくつよあの人?』
……聞こえる。
聞こえてるよ、陰口。
じゃああなたたちは、どれだけ立派な恋愛してきたって言うのよ。
『享楽的な今までの人生と相反する恋愛を肯定するもう1人の自分との葛藤』……なんて。
享楽的に生きたこともなければ恋愛もしたことのない私が情感を込めて?
歌えるわけ、ない、か。
――12月のオペラ公演に向けて、練習は始まったばかりだった。
初めてオーディションを勝ち抜いて、脇役ではあるけど、ソロで歌える役を取った。
当然やる気は十分だった。
歌を歌うに万全の状態を整えて練習に挑んだ、つもり。
それなのに……練習開始早々に躓いた原因は、恋愛経験のなさ、だった。
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