第1幕

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音楽の臨時講師としていくつかの高校を転々としている内に、何の縁か母校へ戻ってきた。 ここの音楽科声楽コースから、夢を抱いて羽ばたいたのが10年前の春。 迷子になって闇雲にもがいている内に戻りついた今は、もう28歳だ。 母の言葉は、本気で心配してるのか、皮肉なのか冗談なのかも分からない言い方だった。 けれど多分、それが本音なのだろう。 いい加減現実を見て、安定した仕事に就いて欲しいというのが。 それでも、前を向くしかない。 譲れない夢を追いかけているから。 春風が、迷いも不安も、全てを優しく包み込んで背中を押してくれた気がしていた。 職員室の面々に、在学中にお世話になった恩師はもう残っていなかった。 ここにいるのは、なるべくして教師になった正規職員の先生方ばかりだ。 夢だけでは食べていけなくて、生活費のために教壇に立つ自分とは違う……。 前を向いて頑張ろうと思った矢先なのに、比べると途端に自信が褪せていく。 そんな少々肩身の狭い思いが救われたのは、朝礼で紹介された『今年度からの非常勤講師』が1人だけではなかったおかげだった。 「岸谷晴臣です。美術科の絵画コースを担当させていただきます」 皆の前へ出てそう挨拶したのは、真新しい白衣を纏った30代半ばくらいの男性だった。
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