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夏の強い日差しも徐々に弱まり、穏やかで過ごしやすい季節に変わり始めた。
何処からか吹く風が寒くない程度に涼しさを残し、また何処へと駆け抜けていく。
早朝ということもあり、まだ生き残っている蝉たちの合唱も聞こえない。そもそも、近頃は蝉しぐれと呼べる程の合唱も聞こえなくなった。聞こえるときは五月蝿いとしか感じないのに、聞こえなくなれば少し寂しさを感じるという不思議。俺たちはこんな感情も全てひっくるめて、風物詩というものを見ているのだろうか。
そんな柄でもない事を頭の片隅で考えながら、俺は今、先ほど偶然発見した〝標的〟を追跡していた。
「…………」
数メートル先を歩く〝目標〟はまだ、後方にある俺の姿に気づいていないようだ。お互いいつもここを通る時間より早いので、まさか俺に狙われているなんて考えもしていないだろう。
だが万一に備え、毛一本ほどの油断をすることもしない。ただ獲物を狙う猫のように、足音を消して慎重に少しずつ距離を詰めていく。気づかれそうになれば惜しまず距離を離す。見付からないことが最低条件なのだから当然ではあるが、なかなか距離が詰まらないのはもどかしい。
やがて、大股で走れば数歩で追いつけるほどの距離まで近づくことに成功した。幾度となく行なった接近と後退、その繰り返しの末に訪れた、ようやく見出したチャンス。これを生かす最高のタイミングはまさに今に違いないと、俺は物陰から飛び出し、無防備な〝目標〟へと迫る。
一気に距離は詰まり、叫びを上げることも抵抗を試みることも一切出来ない刹那の内に、俺は〝標的〟の背後を奪った。そして――
「きゃあッ!?」
俺は膝を急に折り曲げて〝標的〟の膝裏を捉えると、少しだけ膝を押し出してから即座に飛び退き、間合いを作る。バランスを失った上に寄りかかる場所をも失った〝標的〟は、用意された絶妙な間合いへと目論見通り崩れ込み、大きな尻もちをついた。
俗に言う『膝カックン』が、見事完璧に決まった瞬間だった。
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