月花は憂う

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「……ありがと」  首を竦めるように頭を下げると、くしゃりと髪を撫でられた。  何だか目を合わせられなくて、靴箱の方を見遣る。  三段に分かれた棚には、革靴とスニーカーの二足だけ。これじゃあ、一段に一足置いても、一段余ってしまう。 「言わなくてもそのつもりでしょうけど……家に帰ってから開けてください」  ん、と頷いた。 「で、明日、つけてきてください」  ん? と首を傾げる。  つける、ということはアクセサリーだろうか。確かに箱の大きさもーー包装の雰囲気も、何となくそんな感じだ。 ーーアクセサリーなんて、 ーー……腕時計くらいしか、 「先輩に、きっと似合います」  ちら、と窺い見た。その先に、  子供のように邪気のない微笑。  待て。  この男が、こういう顔をするときは。  ーーいや。いくら槙田が最低のド変態野郎だからと言って、ここで悪寒を感じたら俺の方が最低だ。  沸き起こった嫌な予感も一緒に、小箱を鞄のなかに仕舞い込む。 「分かった、……なるべくそうする」  念のため予防線は張っておく。  と。槙田は笑みの色を変えた。  とくとく、と穏やかだった血液の流れが、一瞬にして奔流と化す。  後頭部に、手のひら。  近付いてくる唇。  怯えるように目を閉じて、  2秒後に触れる。  ふ、と息を漏らして笑う声に、震える目蓋を押し上げた。  猫に似た瞳の奥。炎のようにぎらついた光が、一瞬だが、確かに覗いた。 「……じゃ、14時に、駅前で」  消えたと思ったそれは、俺の身体の奥へ移ったのか。  約束を確認されているだけなのにーーかっ、と内側が熱くなり、瞬く間に目元まで伝染する。 「、……か、……帰る……っ!」  やっとのことで一言告げて、逃げるように顔を背けた 。  扉に手を掛けても、二度は止められなかった。 「おやすみなさい、先輩」  あいつの鈴の音は耳に残る。  バタバタと忙しない靴音をたて、誤魔化そうとしてもし切れない。  鼓膜がまだ犯されている。  心臓が、暴れている。
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