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――もし、急用ができた、とかだったら。
――電話したら、なんか、迷惑かも。
と。
俺は身じろぎした。
迷いのさなかに携帯が振動したから。
同期して画面が切り替わり、そこには白抜きで「槙田梓」の文字。
慌てて耳に押し当てた。
『……さくら先輩、すみません』
真っ先に聴こえたのは謝罪の声。
ただし、笑み混じりの。
『俺を待ってる先輩が、飼い主の帰りを従順に待ちつづける子犬みたいで可愛かったから』
鈴の音は当然耳もとから。
「気づくまで観察してようかな、と思って」
そして、となりからも。
怒りのあまり手が震えた。端末を頬にすりあわせながら、右どなりに顔を向ける。
そこには案の定、むき出しの黒い機器を耳にあてがい、肩を揺らす長身の男。
その姿を見て――俺は、目も口もかすかに開く。
「でも先輩、近づいても上の空みたいで気づいてくれなかったし……それに昨日あげたチョーカー、つけてきてないみたいなんで、おあいこってことで」
「……な、何が、おあいこだ、ボケ……」
罵りつつ、情けないことに視線は釘付け。
愉しげに細められた目――レンズを介さない、肉食獣のそれに似た眼に。
もっとも、普段とちがうのはそこだけじゃなかった。
女のそれのように黒く淑やかな髪を、整髪料で緩く遊ばせている。
アクセサリーをつけているところなんて一度も見た覚えがなかったのに、羽根を象ったチャームを、ごく自然に胸のあたりに揺らしたりもしている。
薄手のグレーのジャケットに、無地の白いVネックシャツ、脚の長さを強調する黒のパンツ――
日頃から野暮ったい印象は受けたことがないけど、今日は一段とシャープに見えた。
「お、お前、……」
「こんなところで見惚れないでください」
「、こんなところで何言ってんだアホ、……つ、つーか、眼鏡は? コンタクト、入れてんのか?」
槙田は、ああ、と、携帯を懐のポケットに仕舞いつつ、
「あれ、伊達なんですよ」
「は」
「度、入ってないんです。視力は両目とも2.0」
「は……」
「ずっと付けてたらそれに慣れちゃって、家でも付けたままにしてるんですけど。……ほら、時々外すでしょ?」
――ベッドで。
薄い唇を動かしただけ、音はともなわない。
やけに艶めいたその仕草が――俺の体をますます熱くした。
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